「レーモン4世 (トゥールーズ伯)」の版間の差分

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'''レーモン4世'''(Raymond IV de Toulouse, [[1052年]]頃 - [[1105年]])は、[[トゥールーズ伯]]、[[プロヴァンス]][[辺境伯]]で[[第1回十字軍]]の主要な指導者の1人。[[エルサレム]]占領後、[[トリポリ伯国|トリポリ伯]]領の基盤を創設した。'''レーモン・ド・サンジル'''とも。[[隻眼]]だったと言われている。
 
レーモンはトゥールーズ伯ギヨーム4世の弟だったが、ギヨーム4世が娘([[アキテーヌ公]][[ギヨーム9世 (アキテーヌ公)|ギヨーム9世]]の妃)を後継者に指名して亡くなった時、簒奪してトゥールーズ伯となった。このため、しばしば伯位を主張するアキテーヌ公の攻撃を受けた。
 
3度結婚しているが、最初の2回は[[近親結婚]]として[[婚姻の無効|無効]]とされており、それを理由に2度[[破門]]を受けている。このため、最初の妻との子である長子ベルトランは[[庶子]]と見なされることが多い。