「長岡半太郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎外部リンク: 青空文庫へのリンクを追加
→‎業績: aimai ヴィルヘルム・レントゲンほか
37行目:
長岡は大学院時代から[[磁歪]]の実験研究に取り組み、並行して[[回折]]の数理物理学的な研究も行った。また、[[地震]]や[[地球物理学]]の研究にも携わり、[[地磁気]]の測量、[[流星バースト通信|流星による電波の散乱の報告]][http://www.globalsecurity.org/space/library/report/1990/JJP.htm]などをしている。その後、研究の対象は原子構造論や[[分光法|分光学]]、水銀還金などに広がった。
 
[[1900年]]に[[フランス]]・[[パリ]]で開催された万国物理学会には、[[アンリ・ポアンカレ]]やキュリー夫妻([[ピエール・キュリー]]と[[マリ・キュリー]])、[[アンリ・ベクレル]]などといった当時の有名物理学者とともに参加。磁歪の研究成果を報告している。
 
また、世界の物理学の最新情勢を日本に紹介する仕事も積極的に行っている。[[1888年]]には、[[ハインリヒ・ヘルツ]]の実験について特別講演を行い、紹介記事を執筆した。留学中の[[1895年]]には、[[ヴィルヘルム・レントゲン]]による[[X線]]発見の報告を日本に送った。また、[[1922年]](大正11年)に[[アルベルト・アインシュタイン]]が来日し、日本中で[[アルベルト・アインシュタイン#アインシュタインと日本|アインシュタインブーム]]が起こった際は、宮中にて[[相対性理論]]の講義を行った。
 
=== 土星型原子モデルの提唱 ===