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== 政府の構成 ==
[[Image:ThosChittenden.png|thumb|right|250|バーモント共和国初代知事<br>トマス・チッテンデン]]
バーモント共和国憲法はイライジャ・ウエストのウィンザー酒場で[[1777年]]に起草され批准された。これは北アメリカでは最初の成文憲法であり、新世界でめて[[奴隷制度]]を禁止し、所有資産によらず全ての成人男性に[[選挙権]]を認めた憲法でもあった。バーモント共和国が存続した間、政府は自らの貨幣を発行し、郵便制度も機能させた。共和国議会と知事委員会はグリーン・マウンテン・ボーイズ歩兵隊の旗を国旗に制定した。共和国知事トマス・チッテンデンは委員会と一院制議会の承認に基づき[[フランス]]、[[オランダ]]および[[フィラデルフィア]]にあったアメリカ政府に大使を派遣した。バーモント共和国は「気乗りしない共和国」と言われることがある。というのも建国当初の住人の多くはアメリカ合衆国との政治的連帯を望んでいたからである。
独立国としての状態は[[アメリカ合衆国憲法|アメリカ合衆国が憲法]]を制定した後の[[1791年]]まで保たれ、奴隷制を続ける[[ケンタッキー州]]の対極に来る奴隷制のない州として、アメリカ合衆国に加入した。バーモントの加入は北部の小さな州や、西部辺境に拡張する可能性が低く領有権の争いに執着していた州によって支持された。トマス・チッテンデンは共和国時代のほとんどをその首長として活動し、バーモント州初代知事にもなった。