「横山ノック」の版間の差分

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=== 執行猶予満了後、晩年、そして最期 ===
[[2003年]]、横山は執行猶予を満了し、芸能活動の再開を模索した。テレビについては同年10月に[[京都放送|KBS京都]]のテレビ番組『[[とっぴもナイト]]』にゲスト出演し、TV出演に復帰するという話があったが、各種メディアからの[[バッシング]]や視聴者からの反感が大きかったため、放送が見送られることとなった。その合間に、[[立川談志]]の独演会に[[月亭可朝]]と共に楽屋を訪ね、談志から出演を打診されたものの、結局断っている。その後、[[2006年]][[2月18日]]に[[スカパー!|スカイパーフェクTV!]]の[[ぜんタネ]](司会は上岡龍太郎の弟子の[[ぜんじろう]])にゲスト出演、久しぶりに公の場に姿を見せた。また同年[[7月]]には[[ラジオ関西]]の番組にゲスト出演、9月には[[生國魂神社]]の「彦八まつり」に参加、観客の前で漫談を披露した。しかしながら、テレビ出演は[[スカパー!|スカイパーフェクTV!]]の[[ぜんタネ]]、舞台は生國魂神社の「彦八まつり」が最後となった。
[[2003年]]、執行猶予も満了し、芸能活動を再開した。
テレビについては同年10月に[[京都放送|KBS京都]]のテレビ番組『[[とっぴもナイト]]』にゲスト出演、復帰するという話があったが、視聴者からの反感が大きかったため放送が見送られている。
その合間には[[立川談志]]の独演会に[[月亭可朝]]と共に楽屋を訪ね、談志からは出演を打診されたものの断った。
 
[[2007年]]に入り、横山は[[体調不良]]などでメディア露出が大幅に少なくなる。2月に中咽頭[[ガン]]と判明し、弟子たちにもガンに侵されている事を告げた。そして、「横山と言う名前を(後世に)残したい」と言い、復帰に向ける意気込みも見せていたが、2007年5月3日7時15分、中咽頭ガンのため兵庫県[[西宮市]]の病院で死去した。{{享年|1932|1|30|2007|5|3}}。[[太田房江]][[大阪府]]知事(当時)は「突然の訃報に大変驚いている。知事在任中には行財政改革の推進などに力を尽くされ、府政の十年にわたる改革の礎をつくられた。今はただご冥福をお祈りする」と横山の知事時代の功績を称えるコメントを行った。ただ、大阪府は横山に対して強制わいせつ罪の有罪確定により退職金の分割返納を命じており、横山自身は1期目の退職金を完済していなかったため、遺族に約3年分の残額の返納を要求する姿勢を見せた<!-- その後、どうなったか続報知っている方、加筆お願いします。 -->。2007年[[6月7日]]から後輩芸人など有志によって「横山ノックを天国へ送る会」が大阪の[[リーガロイヤルホテル]]で開催された。発起人の一人である上岡龍太郎は「横山パンチ」名義でお別れの会に出席し、壇上で「ノックさん、あなたは僕の太陽でした。さようなら」と遺影に向かって涙声で別れを告げた。司会は『ノックは無用!』で横山の選挙期間中に代理司会を務めた[[桑原征平]]が務めた。また、息子の一貴の長男(横山の孫、8歳)が「横山タコ」という名義で「タコチュ」というギャグを披露した。<!-- これらを好意的に取り上げた関西のテレビ局には、性的犯罪者であったことを糊塗(こと)する報道姿勢には「近時多発する性犯罪に対する厳しい世論への配慮が欠如している。」との批判があがった{{誰}}。 -->
[[2006年]][[2月18日]]に[[スカパー!|スカイパーフェクTV!]]の[[ぜんタネ]](司会は上岡龍太郎の弟子の[[ぜんじろう]])にゲストで出演、久しぶりに公の場に姿を見せた。また同年[[7月]]には[[ラジオ関西]]の番組にゲスト出演、9月には生國魂神社の「彦八まつり」に参加、観客の前で漫談を披露した。テレビ出演は[[スカパー!|スカイパーフェクTV!]]の[[ぜんタネ]]、舞台は生國魂神社の「彦八まつり」が最後となった。
 
2007年に入り、体調不良などで露出は大幅に少なくなる。同年2月に中咽頭ガンと判明、弟子たちにガンに侵されている事を告げた。そして「横山と言う名前を残したいんや」と言い、復帰に向ける意気込みも見せていたが、2007年5月3日7時15分、中咽頭ガンのため兵庫県[[西宮市]]の病院で死去。{{享年|1932|1|30|2007|5|3}}。
 
[[太田房江]][[大阪府]]知事(当時)は「突然の訃報(ふほう)に大変驚いている。知事在任中には行財政改革の推進などに力を尽くされ、府政の十年にわたる改革の礎をつくられた。今はただご冥福をお祈りする」とコメントした。ただ、大阪府は、ノック自身が強制わいせつ罪の有罪確定により、ノックに退職金の分割返納を命じており、ノック自身は1期目の退職金を完済していない為、今後、遺族に約3年分の残額の返納を要求する姿勢を見せている。
 
後輩芸人など有志によって『横山ノックを天国へ送る会』が2007年[[6月7日]]から大阪の[[リーガロイヤルホテル]]で開催された。発起人の一人である上岡龍太郎は「横山パンチ」名義でお別れの会に出席し、壇上で「ノックさん、あなたは僕の太陽でした。さようなら」とノックの遺影に向かって涙声で別れを告げた。送る会の司会は『ノックは無用!』でノックが選挙期間中に代理司会を務めた[[桑原征平]]が務めた。また、息子の一貴の長男(ノックの孫、8歳)が「横山タコ」と言う名義でノックの往年のギャグ「タコチュ」を披露した。これらを好意的に取り上げた関西のテレビ局には、性的犯罪者であったことを糊塗(こと)する報道姿勢には「近時多発する性犯罪に対する厳しい世論への配慮が欠如している。」との批判があがった{{誰}}。
 
== 出演番組 ==