「シャルル・ケクラン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 詳細を追加&Interwiki。
リンク接続。
2行目:
'''シャルル=ルイ=ユジェーヌ・ケクラン'''(Charles-Louis-Eugène Koechlin、[[1867年]][[11月27日]]、[[パリ]] - [[1950年]][[12月31日]]、[[コート・ダジュール]])は[[フランス]]の[[作曲家]]、音楽教師。ケックラン、ククラン、ケシュランとも表記される。
 
15歳から作曲を始め、若くして徴兵されるが、病気で退役後の[[1889年]]から[[パリ音楽院]]で[[ジュール・マスネ]]、[[ガブリエル・フォーレ]]、アンドレ・ジュダルジュに師事。その後、[[クロード・ドビュッシー]]のバレエ『カンマ』、フォーレの劇音楽『[[ペレアスとメリザンド (フォーレ)|ペレアスとメリザンド]]』の[[管弦楽法|オーケストレーション]]を担当。[[1937年]]には[[スコラ・カントルム]]の教授に就任し、後には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[カナダ]]でも教鞭を取った。
 
さまざまな形式により、極めて多く(約200220曲)の作品を残した。[[ラドヤード・キップリング|キップリング]]の『ジャングル・ブック』による一連の管弦楽曲、ピアノ五重奏曲・ホルン・ソナタなどの室内楽曲、ピアノ曲、歌曲などが知られる。[[旋法]]を使うなど伝統的な音感覚の曲だけでなく、[[無調]]の曲も書いていて多様な作風を示すが、緩やかなテンポの静謐な楽曲に独自の特色がある。
 
また、[[ハリウッド映画]]に触発された作品(「7人のスター交響曲」、「リリアン(・ハーヴェイ)のアルバム」など)も数多く残している。
 
教師としては、[[和声法]]及び[[対位法]]の著作を多く残した。弟子には、[[フランシス・プーランク]]、[[ジェルメーヌ・タイユフェール]]らがいる。