「マイク・シュミット」の版間の差分

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|選出方法 = BBWAA[http://en.wikipedia.org/wiki/Baseball_Writers_Association_of_America]選出
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'''マイク・シュミット'''('''Michael Jack Schmidt''':マイケル・ジャック・シュミット [[1949年]][[9月27日]] - )は[[アメリカ合衆国]]の[[メジャーリーグベスボール]]、右投右打の[[三塁内野手]]。[[オハイオ州]]の[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]出身。[[1995年]]に[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たしている
 
三塁手として史上最多の548本塁打を記録。「歴代最高の三塁手」との呼び声も高い。
 
== 特徴・経歴 ==
[[1971年]]ドラフト2位でフィリーズに入団すると、[[1972年]]にはメジャーデビュー。翌[[1973年]]には三塁手のレギュラーに定着すると、[[1974年]]、36本塁打を放ち初のナショナル・リーグ本塁打王に輝く。
[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]や、[[トレード]]等による移籍の多いメジャーリーグにあって、キャリアの全てを[[フィラデルフィア・フィリーズ]]で過ごした選手で、1970 - 1980年代のスタープレイヤーである。
 
*1976年[[4月17日]]には、1試合4本塁打を記録しているが、興味深いのはシュミットにホームランを打たれた[[投手]]の内訳を見ると、最初の2本[[リック・ラッシェル]]、3本目は[[マイク・ガーマン]]、そして4本目は[[ポール・ラッシェル]]と、リックとポールのラッシェル兄弟から3本のホームランを放っている。
選手としては、豪快なバッティングで[[三振]]が多かったものの、パワーもずば抜けており、通算[[本塁打]]は548本に上る。また三塁の守備も超一流でゴールドグラブ賞を10回受賞しており、歴代最高の三塁手の一人として称される。
 
豪快なバッティングで[[三振]]が多かったもののパワーはずば抜けており、通算548[[本塁打]]は三塁手として歴代最多。またナ・リーグ最多の本塁打王8回、[[エディ・マシューズ]]に並びナ・リーグ歴代最長タイとなる9年連続30本塁打といった記録も残している。守備も堅実でゴールドグラブ賞を10回受賞するなど、1970-1980年代を代表するスタープレイヤーの一人で、歴代最高の三塁手とも称される。もちろん年俸もトップクラスで、[[1985年]]($21,30,300:日本円約2億3433万3000円)と1987年($21,27,333:日本円約2億3400万6630円)には、球界ナンバーワンの[[年俸]]を受け取っていた(※日本円換算はいずれも110円換算)。
[[1989年]]5月、突然「自分のバッティングができなくなった」と言い、涙ながらに現役[[引退]]を表明(同年の[[MLBオールスターゲーム]]に三塁手として選出されたが、出場はしなかった)。その翌[[1990年]]にフィリーズはシュミットのつけていた[[背番号]]『'''20'''』を[[永久欠番]]に指定し、その功績をたたえた。
 
[[1989年]]5月、突然「自分のバッティングができなくなった」と言い、涙ながらに現役[[引退]]を表明した。同年の[[MLBオールスターゲーム]]に三塁手として選出されたが、出場はしなかったその翌[[1990年]]フィリーズはシュミットのつけていた[[背番号]]『'''20'''』を[[永久欠番]]に指定し、その功績をたたえた。[[1995年]]には、資格取得1年目にして[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たしている
引退後はフィリーズ傘下の[[マイナーリーグ]]チームで監督を歴任している。
 
[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]や、[[トレード]]等による移籍の多いメジャーリーグにあって、キャリアの全てを[[フィラデルフィア・フィリーズ]]で過ごした選手で、1970 - 1980年代のスターフランチャイズ・プレイヤーである。
 
*引退後はフィリーズ傘下の[[マイナーリーグ]]チームで監督を歴任している。[[2006年]]、フィリーズの[[ライアン・ハワード]][[一塁手]]が、58本塁打、149打点で二冠王に輝いた。それについてシュミットは地元紙のインタビューハワードの大ファンになってしまった、と公言している。
 
== 獲得タイトル・記録 ==
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*[[MLBオールスターゲーム]]選出:12回(1974年、1976年、[[1977年]]、[[1979年]] - 1984年、1986年、[[1987年]]、[[1989年]])
*1試合4本塁打(1976年[[4月17日]]、対[[シカゴ・カブス]]戦、[[リグレー・フィールド]])
 
== エピソード ==
{{雑多な内容の箇条書き|date=2008年8月}}
*[[ナショナルリーグ]]史上最多の8回の本塁打王に輝いている。
*1976年[[4月17日]]には、1試合4本塁打を記録しているが、興味深いのはシュミットにホームランを打たれた[[投手]]の内訳。最初の2本は[[リック・ラッシェル]]、3本目は[[マイク・ガーマン]]、そして4本目は[[ポール・ラッシェル]]。リックとポールのラッシェル兄弟から3本のホームランを放っている。
*当時の球界でトップクラスの高給取りのひとりだった。[[1985年]]($21,30,300:日本円約2億3433万3000円)と1987年($21,27,333:日本円約2億3400万6630円)は、球界ナンバーワンの[[年俸]]を受け取っていた(※日本円換算はいずれも110円換算)。
*[[2006年]]に[[ライアン・ハワード]][[一塁手]]が、58本塁打、149打点で二冠王に輝いた。それについて、シュミットは地元紙のインタビューでハワードの大ファンになってしまった、と公言している。
 
==年度別打撃成績==