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== 歴史 ==
[[File:PetrochurchPetrochurch2.jpg|thumb|left|1711年に木造で創建され、1772年に改築された聖ペトロ・聖パウロ聖堂(1912年ごろ撮影)。1924年に焼失した]]
[[File:Petrozavodskchurch.jpg|thumb|left|ペトロザヴォーツクの教会(1912年ごろ撮影)]]
[[File:Lake Aaninen Pedrozavodsk.jpg|thumb|left|オネガ湖畔の遊歩道]]
[[大北方戦争]]のさなかの[[1703年]][[9月11日]]に建設された。バルト艦隊のための大砲や錨を作る鋳鉄工場の建設を求めていた[[ピョートル1世|ピョートル大帝]]の意向で、メンシコフ公がこの地に工場と集落を作った。工場は当初はシュイスキー・ザボド(シューヤ川沿いの工場)という名であったが、10年ほど後にピョートル大帝にちなみペトロフスキー・ザボドとなった。これが現在の地名の由来である。
 
[[1717年]]には、ペトロフスカヤ・スロボダの町は人口3,500人とカレリア最大の町となり、木造の要塞、屋根付き市場、ツァーリとメンシコフ公のための小さな宮殿もあった。この街のシンボルであった木造の聖堂は18世紀後半に立て直され、ピョートル大帝時代の[[イコノスタシス]]を創建当時のまま保存していたが、[[ロシア革命]]後の[[1924年]]に火災で焼失した。
 
ピョートル大帝の死後、工場も町も衰退したが、[[エカチェリーナ2世]]により[[1773年]]に新たな鋳鉄工場が建設され、[[オスマン帝国]]との戦争に大砲を供給し、18世紀末にはさらに拡張された。
 
[[1777年]]、エカチェリーナ2世の行政改革により、ペトロフスカヤ・スロボダは都市として登録され、ペトロザヴォーツク(ピョートル大帝の工場の町)と改名された。[[新古典主義建築]]による聖堂や都市計画もこの頃に整備された。[[1784年]]には伝統的にカレリアの中心だった[[オロネツ]](オローネツ)に代わりオロネツ県の行政の中心となった。
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== 経済 ==
[[File:PetrozPetrozavodsk kruglayatraffic trolleybus.jpg|thumb|left|18世紀の新古典主義様式の円形広場トロリーバス]]
木材加工、水産業、造船業などが盛ん。

[[サンクトペテルブルク]]や[[ムルマンスク]]とは鉄道で結ばれている。市内には[[トロリーバス]]が走る。
 
== 文化 ==
[[File:Petroz kruglaya.jpg|thumb|left|18世紀の新古典主義様式の円形広場]]
円形広場や新古典主義様式のアレクサンドル・ネフスキー聖堂などが残り、ロシア北部における18世紀後半の[[新古典主義建築]]の好例となっている。市内には1933年創立のカレリア交響楽団、カレリア図書館、フィンランド語ドラマ劇場、オットー・クーシネン大学、1871年創立の美術館、[[ロシア科学アカデミー]]支部などがある。
円形広場や新古典主義様式のアレクサンドル・ネフスキー聖堂などが残り、ロシア北部における18世紀後半の[[新古典主義建築]]の好例となっている。
 
円形広場や新古典主義様式のアレクサンドル・ネフスキー聖堂などが残り、ロシア北部における18世紀後半の[[新古典主義建築]]の好例となっている。市内には1933年創立のカレリア交響楽団、カレリア図書館、フィンランド語ドラマ劇場、オットー・クーシネン大学、1871年創立の美術館、[[ロシア科学アカデミー]]支部などがある。
 
==友好都市==
[[File:IMG 7961.jpg|thumb|ペトロザヴォーツク駅]]
*{{flagicon|Germany}} [[ノイシュトレリッツ]]、[[ドイツ]]
*{{flagicon|Germany}} [[ノイブランデンブルク]]、ドイツ