「露仏同盟」の版間の差分

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==背景==
1890年、ドイツ帝国の宰相[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の辞任にともない、従来のドイツ外交に変化がもたらされた。これまでのドイツ外交は、フランスの孤立化を重視する観点から対ロシア外交を重視したが([[ビスマルク体制]]参照)、この年より親政を行う皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]はこのことに固執しなかった。そのため、1887年より継続していた[[独露再保障条約]]が更新されないことになり、ロシアは新たな同盟相手を必要としていた。また、国内の近代化推進のためにも外資導入が必要であり、フランスとの同盟樹立は経済的観点からもメリットがあった。一方、フランス側としてもビスマルク外交時代の孤立から脱することは望ましいことであったため、両国の交渉が進められていった。
 
==その後の展開==