「アルフォンソ4世 (アラゴン王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
5行目:
兄のハイメが王位継承権を放棄して修道士となったため、アルフォンソは次男でありながら王太子に立てられた。またアルフォンソは[[ウルヘル]]伯領の相続人であるテレサと結婚し、ウルヘルをアラゴン王国の領土に加えた。彼女との間には王位を嗣いだ[[ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世]]や[[マヨルカ]]王[[ハイメ3世 (マヨルカ王)|ハイメ3世]]妃となったコンスタンサをもうけた。[[1327年]]にテレサと死別した後、アルフォンソ4世は兄ハイメと縁談があったが断られていた[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[アルフォンソ11世]]の姉レオノールと再婚した。彼女は後に甥のカスティーリャ王[[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]](残酷王)に息子ともども殺害された。
 
{{先代次代|[[スペイン君主一覧|アラゴン王]]、[[バルセロナ伯]]|1327 - 1336|[[ハイメ2世 (アラゴン王)|ハイメ2世(公正王)]]|[[ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世(尊儀王)]]}}
 
{{DEFAULTSORT:あるふおんそ4}}