「幽玄」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →連歌の幽玄 |
m →連歌の幽玄 |
||
18行目:
== 連歌の幽玄 ==
室町時代中期の[[天台宗]]の僧であり、連歌作者として知られる[[心敬]]は、その著書『心敬僧都庭訓』の中で「幽玄というものは心にありて詞にいはれぬものなり」と述べている。また歌論『ささめごと』において、一般人が単に「姿の優ばみたること」を幽玄と心得るのに対し、「古人の幽玄体と取りおけるは、心を最用とせしにや」として美意識ともいうべき「心の艶」が条件として伴うものとしている。また連歌においては、感情・面影・余情を旨として「いかにも言ひ残し理なき所に幽玄・哀れはあるべしとなり」と
南北朝時代の連歌の大成者である[[二条良基]]はその著書『九州問答』の中で「所詮連歌と云物は、幽玄の境に入ての上の事也。」と述べており、『十問最秘抄』の中では、心の持ち様を意味する用法としての「意地」の説明の中で、「正しくゆがまず幽玄なる事」の普遍的な必要性を説いている。
|