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そもそも梁山泊が徐寧を仲間にしようとした理由は、[[呼延灼]]の連環馬破りのためだと言う。早速、徐寧は屈強な兵士を選び、数日間かけて鈎鎌鎗法の指導を行った。鈎鎌鎗部隊ができると梁山泊軍はただちに出陣し、官軍の先陣を行く連環馬を徐寧率いる鈎鎌鎗部隊が伏する地点までおびき寄せた。梁山泊の狙いどおり、賊軍を粉砕せんと突進する連環馬部隊は林や草むらかのびてきた鈎鎌鎗に脚を取られて転倒し、身動きが取れなくなった所をあっという間に捕縛されてしまい、後方で押えとして進軍していた官軍も、水際に追い詰められて生け捕られる。こうして、梁山泊は呼延灼の討伐軍を破ったのだ。
 
その後は、華州・芒碭山・東平府・東昌府などの戦いに参加し、第一線にて活躍する。百八星集結後は第十八位、梁山泊の騎兵軍八驃騎虎将兼先鋒使となる。九宮八卦陣では中軍にて金鎗隊を率いる。
 
招安後の戦いでも自慢の槍術をもって戦陣で活躍したが、江南の賊魁・[[方臘]]討伐の際に進軍した杭州で最期を遂げる。