「京極高吉」の版間の差分

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一時将軍・[[足利義輝]]の近臣として仕えたが、[[1560年]]に権力奪回を目指して再び近江に戻り六角氏と結んで[[浅井賢政]](後の長政)に対して挙兵するも失敗し、近江における残された支配権を全て失う。
 
[[1565年]]に義輝が暗殺されると、弟の[[足利義昭]]の擁立に尽力する。だが、義昭が[[織田信長]]と対立すると高吉自身は隠居し、子の小法師(高次を信長の家臣に人質として差し出した(小法師は元服後、高次と名乗ると、信長に仕えさせ
 
1581年、妻とともに[[安土城]]にて[[グネッキ・ソルディ・オルガンティノ]]から[[キリスト教徒]]としての[[洗礼]]を受ける。だが、その数日後に突如として他界した。高齢のためということもあったのかもしれないが、突然の死去に、人々は仏罰で没したと噂した。
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[[category:戦国武将|きようこくたかよし]]
[[Category:京極氏|たかよし]]
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[[Category:1508年生|きようこくたかよし]]
[[Category:1581年没|きようこくたかよし]]