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'''西蔵'''(せいぞう/シーツァン''Xīzàng'')は歴史的[[チベット]]のうち、[[アムド]]や[[カム地方|カム]]を除く、西南部2分の1程度を占める部分に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語。[[元 (王朝)|元]]代より[[康熙帝|康熙]]中期ごろまで用いられた[[烏斯蔵]]に代わり、康熙末年ごろより使用され始めた地域概念である。その後、中国以外の漢字圏でこの表記がとりいれられ、あるいは中国国外在住の中国語話者たちが発信するチベット関連の情報において、中国における概念・用法にあわせて'''チベットの一部'''として、もしくは中国における概念・用法とは別個に'''全チベットの総称'''として、使用されるようになった。本来の、および派生した概念・用法の主要なものは、以下のとおり。
*「西蔵」の語の伝統的な用法、および[[中華人民共和国]]における現行の用法では、チベットのうち、西端の[[ンガリ|ガリ]]地方、チベットの南部の[[ウー (チベット)|ウー]][[ツァン]]地方、[[チベット高原]]中央部の[[チャンタン]]地方、[[カム (チベット)|カム地方]]の西半部などにあたる範囲の総称として使用される。チベットの東端に位置するカム地方の東部<
<!--#'''西蔵'''(''Xīzàng''', '''シーツァン'''、'''せいぞう''')は、アムドの全域や[[カム地方|カム]]の東部も含む、欧州語によるチベットの総称「Tibet」の訳語として、主として国外で刊行される中国語の文献に登場する中国語の呼称。チベットにおける王朝や政権の変遷を超えた[[国号]]としても使用される。【用例とその傾向を十分には確認していないのでコメントアウト】-->
*アムドの全域やカムの東部も含む全チベットの総称として、主として[[明治]]末期から[[昭和]]期かけて使用された呼称。欧州語によるチベットの総称「Tibet」の訳語として「西蔵」という漢字表記が採用され、この表記に対し「チベット」(もしくは「ティベット」)と発音したり、フリガナをふる用法が広く用いられた。[[チベット]]における王朝や政権の変遷を超えた[[国号]]としても使用。[[昭和]]後期より次第に廃れ、現在はカタカナのみで「チベット」と表記される場合が多い(→この用法の用例については[[西蔵#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E4.BB.A5.E5.A4.96.E3.81.AE.E6.BC.A2.E5.AD.97.E5.9C.8F.E8.AB.B8.E5.9B.BD.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E7.94.A8.E4.BE.8B|下記]]を、[[中央アジア]]の[[国]]あるいは[[地域]]としての'''チベット'''そのものの説明については[[チベット]]の項を参照)。
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本節では、中国以外の漢字圏諸国における「西蔵」の用例について紹介する。
[[日本]]の[[多田等観]](1890-1967)は、[[西蔵]]を「チベット」と読み、[[アムド]]や[[カム地方|カム]]の全域をふくむ全[[チベット]]の総称として使用している。<
:: [[西蔵]]の境域は、東経七十八度から百三度、北緯二十七度から三十九度に至る地域を占めている。面積は大略七十五万マイル、日本全土(旧朝鮮、台湾を含む)の約二倍半である。南は[[ヒマラヤ山脈]]、北は[[崑崙山脈]]、東は[[インドシナ山脈]]、この三つの山脈によって押し上げられた高原国である。'''この地理的範囲は[[西蔵人]]が自分の国として考えている国土の面積である。[[青海]]や[[カム地方|喀木]](カム)をも併せた広い意味での面積である。支那では[[青海省]]や[[西康省]]を除外した部分を西蔵と称している。''' (p.233)
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