削除された内容 追加された内容
久太郎 (会話 | 投稿記録)
節分割、文脈整理
1行目:
'''赤米'''('''あかごめ'''、'''あかまい''')とは、[[イネ]]の[[栽培品種]]のうち主に種皮部分に赤色色素を含む品種を指す。日本では古来から栽培されていたが、品質面で[[白米]]に劣る品種と考えられ、昭和末までにほとんどが白米に駆逐さ作らなくなった。しかし、近年[[健康ブーム]]の高まりとともに各地で作付面積が増加している。種皮の色素は[[タンニン]]系で、[[健康ブーム]]にのって大いにもてはやされた[[ポリフェノール]]の一種であり、たいへん健康によいとされる。
 
==赤米の性質と品種==
赤米品種は全国的に残存しており、その形質もさまざまであるが、一般的には吸肥力・病害虫や気候変化に強く、寒冷地や低湿地でもよく育つと言われる。一方で丈が高く倒伏しやすく、穂数が少ないため収量が得られないといった欠点もある。また、[[インディカ種]]の赤米は脱粒しやすく越冬性も強いため、他の圃場に混入することがしばしばある。赤米は単独で飯にした場合著しく食味が劣り、文献上でも、「殆んど下咽に堪へず。蓋し稲米の最悪の者なり」(『日本往還日記』)などと記述されているほどであるため、<ref>ただし赤米を美味と感じた変り種もいたようで、[[貝原益軒]]は「味最も好し」(『大和本草』)と賞賛している</ref>雑穀米として[[白米]]や他の[[雑穀]]と共に飯にしたり、酒・菓子の加工用に用いられることがほとんどである。
 
赤米は単独で飯にした場合著しく食味が劣り、文献上でも、「殆んど下咽に堪へず。蓋し稲米の最悪の者なり」などと記述されているほどであるため、<ref>『日本往還日記』。一方少数意見であるが、[[貝原益軒]]は「味最も好し」と賞賛している(『大和本草』)</ref>雑穀米として[[白米]]や他の[[雑穀]]と共に飯にしたり、酒・菓子の加工用に用いられることがほとんどである。
以下に日本における赤米の代表的品種を挙げる。
 
種皮の色素は[[タンニン]]系で、[[ポリフェノール]]の一種である。
 
===品種===
以下に日本における赤米の代表的品種を挙げる。
*在来品種
**総社赤米([[総社市]]の国司神社の神饌米として栽培されていたもの)
18 ⟶ 23行目:
**紅衣(赤室ベースの改良品種。東北で栽培。)
 
==赤米の沿革歴史==
日本の赤米に関する最古の記録は、[[飛鳥京跡]]苑地遺構から出土した木簡にある赤米の納品の記述である。その他にも[[藤原京]]、[[平城京]]からの木簡にも赤米に関する記述がある。また、[[正倉院文書]]の『大倭国正税帳』『尾張国正税帳』にも地方から赤米が納められた記述がある。
 
28 ⟶ 33行目:
 
==赤米「伝説」==
赤米は[[健康ブーム]]に乗り、「古代米」と標榜されて紹介され売り込まれてきた。しかし、多くの[[健康食品]]がそうであるように、赤米も根拠く美化され、単なる憶測い主張想像は全て事実であるかのように語られ宣伝に都合の良い事柄だけが歪曲を誇張明される傾向にある。主も少例としては下記のとおりくない
 
*赤米は[[飛鳥時代]]の存在が確認されているものの、伝来の時期は確かでない。稲作の伝来時に白米と共に伝わったと考える学者も多いが、具体的な証拠のない憶測の段階に過ぎない。まして赤米が野生種に近いことのみをもって、日本に伝来した最初の米が赤米だったと決め付けるのは、まったく根拠がない。「弥生人は白米でなく赤米を食べていた」「[[卑弥呼]]も赤米を食べていた」などという宣伝文句は正確なものではない。
===古代の赤米===
*「古代、赤米は献上品として珍重されていた」というのは[[木簡]]資料の曲解である。確かに木簡には地方から赤米が納められた記録があるが、全体から見れば白米の納入に関する記録のほうがはるかに多い。赤米が白米に比べて特別な献上品とされていたことを示す証拠はない。同じように赤米が神饌米として残ることのみをもって「赤米は神に捧げる米として神聖視されていた」というのも、全国各地の神社で栽培されていた神饌米のほとんどが白米であることを何も説明できない。
*赤米は[[飛鳥時代]]の存在が確認されているものの、伝来の時期は確かでない。稲作の伝来時に白米と共に伝わったと考える学者も多いが、具体的な証拠のない憶測の段階に過ぎない。まして赤米が野生種に近いことのみをもって、日本に伝来した最初の米が赤米だったと決め付けるのは、まったく根拠がない。「弥生人は白米でなく赤米を食べていた」「[[卑弥呼]]も赤米を食べていた」などという宣伝文句は正確なものではない。
*「赤米が[[赤飯]]の起源である」というのは、[[柳田國男]]が提唱して以来多くの注目を集めているが、現在のところ明確な証拠はない。柳田自身も赤飯と赤米飯の色が似ていることからの連想に過ぎないと説明している。
 
*「古代、赤米は献上品として珍重されていた」というのは[[木簡]]資料の曲解である。確かに木簡には地方から赤米が納められた記録があるが、全体から見れば白米の納入に関する記録のほうがはるかに多い。赤米が白米に比べて特別な献上品とされていたことを示す証拠はない。同じように赤米が神饌米として残ることのみをもって「赤米は神に捧げる米として神聖視されていた」というのも、全国各地の神社で栽培されていた神饌米のほとんどが白米であることを何も説明できない。
 
*「赤米が[[赤飯]]の起源である」というのは、[[柳田國男]]が提唱して以来多くの注目を集めているが、現在のところ明確な証拠はない。柳田自身も赤飯と赤米飯の色が似ていることからの連想に過ぎないと説明している。
 
===赤米と健康===
{{節stub}}
種皮の色素は[[タンニン]]系で、[[ポリフェノール]]の一種である。
 
== 脚注 ==