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[[画像:Ayasofya_tr_003.jpeg|thumb|300px|ハギア・ソフィア大聖堂内のモザイク画キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻。左の人物がコンスタンティノス]]
 
'''コンスタンティノス9世モノマコス'''(<small>[[ギリシア語]]</small>:{{lang|el|'''Κωνσταντίνος Θ'Θʹ Μονομάχος''', (KōnstantinosKōnstantinos IX Monomakhos)Monomakhos}}, [[1000年]] - [[1055年]][[1月11日]])は、[[東ローマ帝国]][[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]の[[皇帝]](在位:[[1042年]] - 1055年)。[[ロマノス3世アルギュロス]]の縁戚。モノマコスは姓で、「孤独な戦士」の意。中世ギリシア語読みでは「'''コンスタンディノス9世モノマホス'''となる
 
先帝[[ミカエル5世]]は、自身が親政を行なうために邪魔な存在であった[[皇太后]][[ゾエ]]を追放しようと図ったが、逆に捕らえられて、盲目にされたうえで追放された。その後、ゾエが妹の[[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]]とともに女帝として即位したが、二人は仲が悪く、うまく統治できなかったため、わずか2ヵ月後でゾエとテオドラは退位。ゾエが[[元老院]]議員であったコンスタンティノス・モノマコスと結婚し、彼を皇帝として即位させた。これが、コンスタンティノス9世モノマコスである。