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|[[孝建]]:[[454年]] - [[456年]]</br>[[大明]]:[[457年]] - [[464年]]
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'''孝武帝'''(こうぶてい、[[430年]] - [[464年]])は在位:[[453年中国]][[南北朝時代 - 464年)は、(中国)|南朝]]の[[宋 (南朝)|宋]]の第4代皇帝(在位:[[453年]] - 464年)。姓は''''''[[諱]]'''駿'''、[[字]]は休龍、幼名は道民、[[廟号]]は世祖。第3代皇帝[[文帝 (南朝宋)|文帝]]の第3子。
 
[[453年]]、当時の[[皇太子]]であった兄・[[劉劭 (南朝宋)|劉劭]]が文帝を殺害した際、大軍を率いてこれを討伐して逐い、誅殺した。て、その後自ら即位するした
 
在位中、[[中央集権]]を推し進め、側近に[[寒門]]を登用するなどの政策を行う一方で、兄の一族を殺害する暴虐さとともに奢侈を好む一面もあった。そのため、財源確保のために[[租税]]を厳しくするなど、宋の衰退の端緒となった。
 
{{先代次代|[[宋 (南朝)|宋(劉宋)]]の[[中国帝王一覧|皇帝]]|第4代:453年 - 464年|[[文帝 (南朝宋)|文帝]]</br>[[劉劭 (南朝宋)|劉劭]]|[[廃帝子業 (南朝宋)|前廃帝]]}}
 
{{DEFAULTSORT:こうふてい}}