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'''ガロピン'''(''Galopin''、[[1872年]] - [[1899年]])は、1870年代に活躍した[[イギリス]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]。[[1875年]]の[[ダービー (競馬)ステークス|エプソムダービー]]優勝馬で、大種牡馬[[セントサイモン]]の父として知られている。自身も英種牡馬チャンピオン3回、母の父としても3度首位になっており、優れた種牡馬であった。
 
== 0歳から3歳時まで ==
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エプソムでデビュー戦を迎えると引退までに11戦10勝の成績を残した。唯一の敗戦は馬場に脚をとられたミドルパークプレートのみで、2歳時はハイドパークプレート、フェルンヒルステークス、ニューステークスと連勝し6戦5勝。翌3歳になると強さに研きがかかり初戦の[[マッチレース]]を8馬身差で圧勝、唯一[[クラシック (競馬)|クラシック]]登録を行っていたエプソムダービーに向かった。バッチャーニは[[三冠 (競馬)|三冠]]路線にはあまりこだわっておらず、2000ギニー、セントレジャーステークスには登録されていなかった。
 
エプソムダービーでは一番人気に押された。しかし、前日ミスで冷たい水を与えてしまい体調を崩してしまう。焦ったジョン・ドーソンはガロピンに毛布を掛け翌日のダービーに臨んだ。この甲斐あってか翌日体調を持ち直すと、直線で後続を完封し第96代[[ダービー (競馬)ステークス|エプソムダービー]]優勝馬になった。この後ニューマーケットダービーで同世代の[[セントレジャーステークス]]優勝馬クレイグミラーを下し同世代では抜けた強さがあることを証明している。
 
バッチャーニはこのころ心臓を悪くしており、お気に入りのガロピンが負ける姿を見せたくないというドーソンの配慮によってこの年限りで引退し種牡馬となった。なお、同世代の[[ハンプトン (競走馬)|ハンプトン]]とは、ハンプトンが当時下級戦を抜け出せず、先にガロピンが引退したため未対戦に終わった。