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年が明けて[[2003年]]、3歳になったダラカニはG2のグレフュール賞から始動し、ここでも勝利。次走は[[ジョッケクルブ賞]]の前哨戦であるG1の[[リュパン賞]](現在は廃止された競走)で、前哨戦を勝利すると、本番のジョッケクルブ賞でも危なげなく勝利し、これでデビュー以来無敗の6連勝を達成。勢いに乗って[[アイルランド]]に遠征し、[[アイリッシュダービー]]に出走する。レースでは1番人気に支持され、直線で早めに先頭に立つも、外からやってきた[[アラムシャー]]に並ばれ、必死に食い下がるものの1/2馬身振り切られて2着と惜敗。デビュー以来初めて土をつけられてしまう。
 
フランスに帰国したダラカニは、[[凱旋門賞]]のプレップレースである[[ニエル賞]]に出走し、[[ドワイエン]]を半馬身差凌いで勝利。本番の凱旋門賞では、当時の最強古馬の[[ハイシャパラル]]や、[[サンクルー大賞]]および前哨戦の[[フォワ賞]]をも制した[[アンジュガブリエル]]、[[ダービー (競馬)ステークス|エプソムダービー]]優勝馬の[[クリスキン]]など有力馬が顔を揃えた。レースでは後方に位置し、ハイシャパラルなど前方の有力馬の手ごたえが怪しくなってきた頃にじわじわと進出し、好位から抜け出した伏兵ムブタカーとの距離を徐々に詰めていき、ゴール前200メートル地点で並んで交わすと、そのまま叩き合いを制してゴールイン。凱旋門賞に勝利する。これらの活躍が評価され、2003年度の[[カルティエ賞]]年度代表馬に選出された。このレースを持って引退し、引退後はアイルランドで[[種牡馬]]入りした。
 
=== 競走成績 ===
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*生涯で一度も連対を外さず、負けたのはアイリッシュダービーの時だけであった。抜群の安定感を誇る同馬だが、レースで勝つ時はそれほど千切ることはなかった。凱旋門賞の時は、前を行くムブタカーを急追するも、並ぶとじわじわと差を広げていた。
== 種牡馬入り後 ==
種牡馬入り後は、2008年に[[BCブリーダーズカップ・ターフ]]、[[セントレジャーステークス]]を制した[[コンデュイット|Conduit]]、[[アイリッシュオークス]]を制した[[ムーンストーン (競走馬)|Moonstone]]らを輩出した。
 
== 血統表 ==