「山口節生」の版間の差分

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== 政治活動 ==
*改革保守[[無党派]]系無所属(自民・新進系、自民党系中立的無所属・新党結成・参加予定)→[[自由連合 (政党)|自由連合]]→「ニューディールの会」代表→「公募型競争入札を促進する会」代表→「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」[[党首]]→'''「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」(略称)代表'''
*[[1991年]]以来各種[[選挙]]に立候補している。1991年1月の[[小城郡]][[牛津町]]長選挙への立候補を皮切りに、同年2月の[[佐賀市]]長選挙、4月の[[統一地方選挙]][[佐賀県]]知事選挙、[[1993年]]の[[第40回衆議院議員総選挙]](佐賀全県区)と次々に立候補しいずれも落選。なお、その際に同氏は「長男選民論(長男はあらゆる面に優れており、次男は全てに於いて卑屈で無能で人間として欠落しているといった旨のもの)」を主張し、対立候補を「卑しい次男坊」とマニフェストで書くなどして多くの人の反感を買った。佐賀県知事選立候補時の選挙公報には、実名で賄賂の汚職の暴露をし、関係者を怒らせた。このような行動から、マスコミにはいわゆる[[泡沫候補]]的な扱いを受けたが、与野党相乗り現職VS共産党公認候補という地方知事選の典型的無風選挙の構図に割り込んだ成果か、あと一歩で供託金返還となる9.9%の得票率を叩き出す。その後活動の場を首都圏に移す。[[1995年]]4月の[[統一地方選挙]][[東京都知事選挙]]に立候補し落選。以後、[[東京都]]と自宅のある[[埼玉県]]において[[国政選挙]]・[[地方選挙]]を問わずたびたび[[選挙]]に出馬、[[補欠選挙]]にも名乗りを上げるもすべて落選。[[自由民主党 (日本)|自民党]]系無所属を名乗る事が多い。何度か自民党候補の公募に出願しているが、合格したことは1度もなく、常に無所属か諸派での出馬となっている。細かい文字でびっしり埋め尽くされた[[選挙公報]]や、[[政見放送]]で「入れないと見捨てちゃうぞ」と発言するなど、強烈なインパクトを残す。
*マスコミでは、[[大川興業]][[大川豊]][[総裁]](当時)が著書『誰が[[新井将敬]]を殺したか』や連載『金なら返せん!』でも「インディーズ候補」の代表としてたびたび取り上げている。
*[[2000年]][[第42回衆議院議員総選挙]]では[[自由連合 (政党)|自由連合]]から出馬。自由連合は、現職国会議員を擁し、新人候補者の中にも、自民党や新進党公認で選挙に出馬した候補も多い為、公認候補は全て「主要候補」として扱われた。その為、山口も「主要候補」として報道がなされた。
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