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[[Image:REmpire-04 Gallia Narbonensis.png|thumb|250px|right|[[120年|西暦120年]]のガリア・ナルボネンシス]]
 
'''ガリア・ナルボネンシス'''('''Gallia Narbonensis''', ガッリア・ナルボーネンスィス)は、[[ローマ帝国]]の[[属州]](プロウィンキア)のひとつ。北東部に[[ガリア・アクィターニア]]、北西部に[[ガリア・ルグドゥネンシス]]、西方に[[ヒスパーニア・タラコネンシス]]と接している。現在の[[フランス]]南部、[[ラングドック]]地方および[[プロヴァンス]]地方に該当する。
 
'''ガリア・トランサルピナ'''(アルプスの向こうのガリア)とも呼ばれ、早くから属州化が進んでいた地域である。
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[[共和政ローマ|ローマ共和国]]によって[[紀元前121年]]に属州となる。もともとの名前は前述の「ガリア・トランサルピナ」であり、アルプスを越えないガリア人の住む地域「[[ガリア・キサルピナ]]」と区別されて名付けられた。
 
ローマ共和国と隣接し、またイベリア半島とも隣接しているので、戦時は北の[[ガリア人]]や西の[[イベリア人]]からの緩衝国として最適な位置にあった。また平時でも[[ローヌ川]]を介してのガリア人との交易拠点としても有望な地域でもあった。交易の拠点はマッスィリア(現在の[[マルセイユ]])にあった。
 
のちにこの地域は首都ナルボー(現在の[[ナルボンヌ]])にちなんで「ガリア・ナルボネンスィス」と名付けられた。
 
イタリア本土と近いため多くの移民が移り住み、ローマ文化が深く浸透していた。[[大プリニウス]]は『博物誌』の中でナルボネンシスの貴族や民衆は洗練されたローマ人として振舞っており、「属州というよりはむしろイタリアである」と評している。