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'''慶円'''(けいえん/きょうえん・'''慶圓'''、[[天慶]]7年([[944年]]) - [[寛仁]]3年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]])は、[[平安時代]]中期の[[天台宗]][[僧侶]]。[[天台座主]]を務めた。「三昧座主」と称された。
 
[[播磨国|播磨]][[国司|守]][[藤原尹文]]の子で[[藤原実資]]の母方の叔父とされているが、他にも[[大納言]][[藤原道明]]の子説や[[尾張国|尾張]]守[[藤原連貞]]の子説などがある。
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ところが、当時の最大の権力者であった[[藤原道長]]とは不仲で、道長の日記『[[御堂関白記]]』には慶円が道長を「如讎敵」と見ていることが記されている。道長と慶円は当初の関係は良好であったが、長和元年([[1012年]])に道長が出家した息子[[藤原顕信|顕信]]の受戒のために[[比叡山]]に馬で登ったことに延暦寺の僧侶・大衆が反発し、直後に道長が病気になった際に慶円がそのことに抗議して[[加持祈祷]]の[[修法]]を拒んだことが原因であったとされている。その後も慶円は[[三条天皇]]の病気回復のために祈祷するなど道長の権勢におもねらない姿勢を示したが、道長の外孫である[[後一条天皇]]及び[[敦良親王]]の病気回復の際に修法を行って以後は両者和解の方向に向かったという。
 
== 参考文献 ==
*槙野広造 編『平安人名辞典 長保二年』(高科書店、1993年)
*関口力「慶円」『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)
 
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[[Category:日本の僧]]
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[[Category:1019年没]]
 
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