「ガーナ王国」の版間の差分

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テモセイ (Thomassey) とR.マウニー (Mauny) によって行われた、ガーナ王国の首都と考えられる[[モーリタニア]]南東部のティンペドラ=ナラ街道沿いに位置するクンビ=サレー (Kumbi Saleh) の調査が知られる。この調査成果は、1956年に発掘報告書として公刊されている。
 
アブー=バクリは、クンビ=サレーは[[イスラム]]の町と6マイル離れた「王宮の町」で構成されていると記述しているが、「王宮の町」については発見されていない。イスラムの町については、アブー=バクリが記述するような集住的な石造りの建物が発見された。また北西部分には広大な墓地を伴い、アフリカでは初期の様式の[[モスク]]があることが判明した。これらの建物は複数階の構造を持ち、地中海周辺で見られる様式のものであった。
 
出土した精製土器やガラス器は、北アフリカ・[[マグリブ]]地方から輸入されたものであった。クンビ=サレーの中央の通りとモスクから採取された有機物のサンプルから放射性炭素年代測定が行われ、13世紀初頭という値が得られ、11世紀後半([[1077年]])にモロッコの[[ムラービト朝]]に滅ぼされてからも町自体は2世紀近く繁栄を続けていたことが判明した。