「ジャン1世 (ベリー公)」の版間の差分
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ジャン1世は、[[百年戦争]]中のフランス国内の対立を収めるために尽力した。特に甥の[[オルレアン家|オルレアン公]][[ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|ルイ]]と弟のブルゴーニュ公フィリップ2世の間の和平工作を行なった。
しかしそれよりも、ジャン1世は美術品の蒐集家や芸術家のパトロンとして知られている。[[リンブルク兄弟|ランブール兄弟]]に『[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]』を製作させたほか、さまざまな貴金属・工芸品・彩飾写本を所有していた。コレクションに厖大な財産を投じるあまり、ベリー公領はフランス中で最も税が重い地域になり、さらにジャン1世の歿後相当な額の負債が残されたという。
ジャン1世は最初の妃である[[アルマニャック]]伯[[ジャン1世 (アルマニャック伯)|ジャン1世]]の娘ジャンヌとの間に、ジャン(モンパンシエ伯)、ボンヌ([[サヴォイア]]伯[[アメデーオ7世]]妃、のちアルマニャック伯[[ベルナール7世 (アルマニャック伯)|ベルナール7世]]妃)、[[マリー (オーヴェルニュ女公)|マリー]](オーヴェルニュ女公、のち[[ブルボン公]][[ジャン1世 (ブルボン公)|ジャン1世]]と結婚)らをもうけた。2人目の妃は[[ブローニュ]]女伯ジャンヌ2世であったが、彼女との間には子供は生まれなかった。
{{先代次代|[[ポワティエ伯]]|[[1357年
{{先代次代|[[ベリー公]]|[[1360年
{{先代次代|[[オーヴェルニュ公]]|1360年 - 1416年|―|[[マリー (オーヴェルニュ女公)|マリー]]と[[ジャン1世 (ブルボン公)|ジャン1世]]}}
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