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{{Infobox Scientist
[[画像:Clarence King.jpg|right|thumb|250px|クラレンス・キング]]
| name = クラレンス・キング
'''クラレンス・キング'''(Clarence King、1842年1月6日 - 1901年12月24日)は、アメリカの[[地質学者]]で[[登山家]]。1879年から1881年までアメリカ合衆国の地質学調査の監督として彼はネバダ州のシエネバダの調査で知られている。彼は[[ロードアイランド]]の[[ニューポート]]に生まれた。
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[[画像ファイル:O'Sullivan_1868_ClarenceKing.jpg|thumb|left|250px|1868年10月、[[ユタ州]][[ソルトレークシティ]]近くのキャンプ地でのクラレンス・キング。[[ティモシー・H・オブライエン]] ([[:en:Timothy H. O'Sullivan|Timothy H. O'Sullivan]]) の撮影]]
'''クラレンス・キング'''(Clarence(Clarence King、[[1842年]][[1月6日]] - [[1901年]][[12月24日)]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[地質学者]]で[[登山家]]。1879年から1881年まで[[アメリカ合衆国の地質調査所]]の監督として彼は[[ネバダ州]][[シエネバダ山脈 (アメリカ合衆国)|シエラネバダ山脈]]の調査で知られている。彼は[[ロードアイランド]]の[[ニューポート]]に生まれた。
 
== 経歴 ==
1862年、キングは、[[イエール大学]]の[[シェフィールド科学学部]] ([[:en:Sheffield Scientific School|Sheffield Scientific School]]) を[[化学]]の[[学位]]を取得して卒業。イェール時代、彼は[[ジェームズ・デーナ]]と一緒に勉強していた。
 
卒業後、キングは親友で級友の[[ジェームズ・テリー・ガードナー]] ([[:en:James Terry Gardiner|James Terry Gardiner]]) と一緒に馬で[[カリフォルニア]]に旅行した。カリフォルニアでは、無報酬で[[カリフォルニア地質調査所]] ([[:en:California Geological Survey|California Geological Survey]]) に参加。ここで、[[ウィリアム・ヘンリー・ブリューワー]] ([[:en:William Henry Brewer|William Henry Brewer]]) 、[[ジョシア・ホイットニー]] ([[:en:Josiah Whitney|Josiah Whitney]]) 、そして[[リチャード・D・コッター]] ([[:en:Richard D Cotter|Richard D Cotter]]) と一緒に働いた。1872年の10月、[[フィリップ・アーノルド]] ([[:en:Philip Arnold|Philip Arnold]]) が仕掛けた[[ダイアモンドと宝石の原石にまつわる悪ふざけ]] ([[:en:Diamond hoax of 1872|diamond and gemstone hoax]]) を発見。1864年、キングとリチャード・コッターは、[[ティンダル山]] ([[:en:Mount Tyndall|Mount Tyndall]]) の初登頂について発表した。当時は測量ミスで、ティンダル山が、シエラネバダ山脈の最高峰とされていた。
==経歴==
[[画像:O'Sullivan_1868_ClarenceKing.jpg|thumb|left|250px|1868年10月、ユタ州[[ソルトレークシティ]]近くのキャンプ地でのクラレンス・キング、ティモシー・H・オブライエンの撮影]]
1862年、キングは、[[イエール大学]]のシェフィールド科学学部を化学の学位を取得してで卒業。イェール時代、彼は[[ジェームズ・デーナ]]と一緒に勉強していた。卒業後、キングは親友で級友のジェームズ・テリー・ガードナーと一緒に馬でカリフォルニアに旅行した。カリフォルニアでは、無報酬でカリフォルニア地質学調査に参加。ここで、[[ウィリアム・ヘンリー・ブリュ―ワ―]]、[[ジョシア・ホイットニー]]、そして[[リチャード・D・コッタ―]]と一緒に働いた。
1872年の10月[[フィリップ・アーノルド]]が仕掛けたダイアモンドと宝石の原石にまつわる悪ふざけを発見。1864ねん
、キングとリチャード・コッタ―は、ティンダル山の発登頂について発表した。当時は測量ミスで、[[ティンダル山]]が、[[シエラネバダ山脈]]の最高峰とされていた。
1867年、キングは、アメリカの北緯40度線調査に参加する地質学者に指名される。これは40度線調査の名で知られる著名な探検で、このために彼はかなりの強力なロビー活動を行った。キングは、ワイオミングからカリフォルニアとの境界までの宏大な範囲を担当し、この調査に6年の歳月を費やした。この時期、彼は、有名な著書『シエラネバダの登山』(Mountaineering in the Sierra Nevada、1872年)を出版している。その野外調査の仕事が完全に終了した後で、1878年彼は、『体系地質学』を出版した。
調査のため野外調査の指揮を執っていた間、彼は[[ヘンリー・ブルックス・アダムス]]と知り合い、友人となった。彼らの友情は、キングの後半生の間続くものとなり、彼の名は、アダムスの自伝的な著作『[[ヘンリー・アダムスの教育]]』(1907年)の中でしばしば登場することになる。
 
1867年、キングは、アメリカの北緯40度線調査 ([[:en:Geological Exploration of the Fortieth Parallel|Geological Exploration of the Fortieth Parallel]]) に参加する地質学者に指名される。これは40度線調査の名で知られる著名な探検で、このために彼はかなりの強力な[[ロビー活動]]を行った。キングは、[[ワイオミング]]からカリフォルニアとの境界までの宏大な範囲を担当し、この調査に6年の歳月を費やした。この時期、彼は、有名な著書『シエラネバダの登山』(Mountaineering(Mountaineering in the Sierra Nevada、1872年)を出版している。その野外調査の仕事が完全に終了した後で、1878年彼は、『体系地質学』を出版した。
 
調査のため野外調査の指揮を執っていた間、彼は[[ヘンリー・ブルックス・アダムス]] ([[:en:Henry Brooks Adams|Henry Brooks Adams]]) と知り合い、友人となった。彼らの友情は、キングの後半生の間続くものとなり、彼の名は、アダムスの自伝的な著作『[[ヘンリー・アダムスの教育]]』(1907(1907)の中でしばしば登場することになる。
1879年、アメリカ連邦議会は、アメリカ西部の地質学的調査の数を整理統合し、アメリカ合衆国地質学的調査という組織を作り上げた。キングが、その最初の責任者に選任されたが、その任期はわずか20ヶ月だけのものだった。
 
1879年、[[アメリカ連邦議会]]は、アメリカ西部の地質学的調査の数を整理統合し、アメリカ合衆国地質学的調査という組織を作り上げた。キングが、その最初の責任者に選任されたが、その任期はわずか20月だけのものだった。
キングは、[[アリゾナ州]]フェニックスで肺結核のため亡くなり、ロードアイランドのニューポートに埋葬された。ユタ州のキング・ピーク、[[キングス・キャニオン国立公園]]のクラレンス・キング山は、彼の名誉を称えて名づけられたものである。
 
キングは、[[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]][[肺結核]]のため亡くなり、[[ロードアイランド州]][[ニューポート]]に埋葬された。[[ユタ州]][[キング・ピーク]] ([[:en:Kings Peak|Kings Peak]])、[[キングス・キャニオン国立公園]]の[[クラレンス・キング山]] ([[:en:Mount Clarence King|Mount Clarence King]]) は、彼の名誉を称えて名づけられたものである。
 
== ジェームズ・トッドとしての二重生活 ==
[[歴史家]][[マーサ・サンドワイス]] (Martha Sandweiss) によれば、キングは、彼の人生の最後の13年[[二重生活]]をしていたとされる。1887年もしくは1888年、彼は[[ジョージア州]]出身の[[アフリカ系アメリカ人]][[看護師(]]([[奴隷)]])[[アダ・コップランド・トッド]] (Ada Copeland) と知り合い、夢中になった。彼女は1880年代の半ば、[[ニューヨーク]]に移り住んできていた。 [[19世紀]]には[[白人]][[黒人]]の間の結婚は、雑種婚ともいわれ激しく忌み嫌われ、多くの土地では[[非合法]]とまでされていた。そこでキングは、彼女に自分の氏素性を隠したのである。彼は、青い目と色白にも関わらず、自分はアフリカ系のアメリカ人で[[鉄道]][[車掌]]をしているジェームズ・トッドだと彼女に信じ込ませたのである。2人は恋に落ち、1888年に結婚に至った。婚姻期間を通して、彼はアダに一度も真実を明かさなかった。家にいるときは鉄道車掌のトッドで、野外にいるときは地質学者のキングとして生活したのである。2人は、5人の黒人、白人の子どもを授かった。キングは、アリゾナ州で死の床にある時に、コップランドに手紙を書いて、最後にすべての真実を明かした。
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Clarence King}}
* [[地球科学者]]
 
== 参考文献 ==
* Clarence King (1871). ''Mountaineering in the Sierra Nevada'', Boston: James Osgood & Co., New York: C. Scribner’s sons tenth edition 1902: [http://www.yosemite.ca.us/library/mountaineering_in_the_sierra_nevada/ online edition]
* Clarence King, ''Catastrophism and Evolution'', The American Naturalist, Vol. 11, No. 8. (Aug., 1877), pp. 449-470.
* Martha A. Sandweiss, ''Passing Strange: A Gilded Age Tale of Love and Deception Across the Color Line'' (New York: Penguin, 2009), ISBN 978-1594202001.
* Thurman Wilkins and Caroline Lawson Hinkley (1988). ''Clarence King: A Biography'', University of New Mexico Press, 1988 revised edition, softcover, ISBN 0-8263-1085-0
* Aaron Sachs, ''The Humboldt Current: Nineteenth Century Exploration and the Roots of American Environmentalism,'' (Viking, 2006), King, one of four Americans on whom the author focuses, was influenced by Alexander von Humboldt.
* Robert Wilson (2006). ''The Explorer King : Adventure, Science, and the Great Diamond Hoax--Clarence King in the Old West'', Scribner, ISBN 0-7432-6025-2
 
== 外部リンク ==
*Clarence King (1871). ''Mountaineering in the Sierra Nevada'', Boston: James Osgood & Co., New York: C. Scribner’s sons tenth edition 1902: [http://www.yosemite.ca.us/library/mountaineering_in_the_sierra_nevada/ online edition]
* [http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=14762735 Find A Grave Profile] {{En icon}}
*Clarence King, ''Catastrophism and Evolution'', The American Naturalist, Vol. 11, No. 8. (Aug., 1877), pp. 449-470.
* [http://pubs.usgs.gov/circ/c1050/surveys.htm USGS: The Four Great Surveys of the West] {{En icon}}
*Martha A. Sandweiss, ''Passing Strange: A Gilded Age Tale of Love and Deception Across the Color Line'' (New York: Penguin, 2009), ISBN 978-1594202001.
* [http://www.gsajournals.org/gsaonline/?request=get-document&doi=10.1130%2F1052-5173(2004)014%3C18:RSCKPG%3E2.0.CO%3B2 ''Clarence King (1842–1901): Pioneering Geologist of the West'', Geological Society of America] {{En icon}}
*Thurman Wilkins and Caroline Lawson Hinkley (1988). ''Clarence King: A Biography'', University of New Mexico Press, 1988 revised edition, softcover, ISBN 0-8263-1085-0
*Aaron Sachs, ''The Humboldt Current: Nineteenth Century Exploration and the Roots of American Environmentalism,'' (Viking, 2006), King, one of four Americans on whom the author focuses, was influenced by Alexander von Humboldt.
*Robert Wilson (2006). ''The Explorer King : Adventure, Science, and the Great Diamond Hoax--Clarence King in the Old West'', Scribner, ISBN 0-7432-6025-2
 
==外部リンク==
*[http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=14762735 Find A Grave Profile]
*[http://pubs.usgs.gov/circ/c1050/surveys.htm USGS: The Four Great Surveys of the West]
*[http://www.gsajournals.org/gsaonline/?request=get-document&doi=10.1130%2F1052-5173(2004)014%3C18:RSCKPG%3E2.0.CO%3B2 ''Clarence King (1842–1901): Pioneering Geologist of the West'', Geological Society of America]
 
{{DEFAULTSORT:きんく くられんす}}
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