「ストーンズリバーの戦い」の版間の差分

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龍伯 (会話 | 投稿記録)
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[[1月2日]]に午後4時、ブラッグはブレッキンリッジの部隊に川の東岸の丘を占領しているビーティの師団を攻撃するよう命じた。ブレッキンリッジは当初その攻撃が自殺行為だと抗議したが、最終的には同意して決死の覚悟で攻撃した。北軍はマックファデン浅瀬の向こうに押し出されたが、南軍の攻撃は川向こうからクリッテンデンの砲兵隊長ジョン・メンデンホール大尉の指揮する砲兵隊の集中砲火を浴びることになった。メンデンホールはその大砲45門を車軸から車軸に並べて完璧に配置し、対岸とその向こうの高台の敵を完全に支配し、この日のローズクランズ軍を救った。南軍の攻撃は立ち往生し、1時間足らずの間に1,800名以上の損失を出した。午後4時45分にジェイムズ・S・ネグリーの師団(トーマスの翼)が反撃を開始し、南軍は撤退した。ブレッキンリッジはこの惨劇で大きく落胆した。そのケンタッキー部隊(ロジャー・W・ハンソンの旅団、北軍が占領したケンタッキー州に戻れないので孤児旅団とも呼ばれた)の3分の1近くを失った。ブレッキンリッジは生き残った兵士達の中に馬で乗り入れ、「かわいそうな孤児よ!かわいそうな孤児よ!」と繰り返し叫んだ。
 
[[1月3日]]の朝、ローズクランズの元に大きな輜重隊と援軍の歩兵旅団が到着した。ウィーラーの騎兵隊がその後に付いて弾薬の荷車を奪おうとしたが撃退された。トーマスはその翼の[[ラベル・ルソー|ラベル・H・ルソー]]師団に対して常時狙撃兵に狙われていたことに反応して2個連隊で南軍前線の中央を襲わせた。トーマスは南軍をその塹壕から引き出し、70ないし80名を捕虜にした(この行動にも拘わらず、主要な戦闘は一般に1月2日に終わったと認められている)。
 
ブラッグは、ローズクランズ軍が補強を受け続けるものと確信し、凍えるような雨というひどい天候で河面を上昇させその軍隊が2つに分けられてしまう可能性を認識した。1月3日の午後10時から、ブラッグはマーフリーズバラを抜け、南に36マイル (58 km)離れたタラホーマまでの撤退を開始した。ローズクランズはマーフリーズバラを占領したが、ブラッグ軍を追撃しようとはしなかった。