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'''カール・マンハイム'''('''Karl Mannheim''', [[1893年]][[3月27日]] - [[1947年]][[1月9日]])は、[[ハンガリー]]の[[社会学者]]。[[知識社会学]]の提唱者として知られる。[[ブダペスト]]に生まれ、[[ドイツ]]・[[ベルリン]]で[[ゲオルグ・ジンメル]]に学ぶ。1929年に[[フランクフルト大学]]社会学科正[[教授]]となる。1933年に[[アドルフ・ヒトラー]]が政権をとったため[[イギリス]]に亡命する。[[ロンドン大学]]講師を経て、1946年にロンドン大学教育学部の主任教授となる。
 
彼は、[[思想]]の[[存在被拘束性]]から知識社会学を構想し、『[[イデオロギーとユートピア]]』で、[[マルクス主義]]の[[イデオロギー]]を前面に出さず、マルクス・レーニン主義的な社会改造の革命を推進する新しいドグマを構築し、[[ユートピア]]にも現実社会の変革という積極的な意味を付与した。[[大衆社会]]の危険性について論じた『変革期における人間と社会』は、後の[[エーリヒ・フロム]]などの大衆社会論の流れに大きな影響を与えた。日本では[[丸山眞男]]がマンハイムから大きな影響を受けているが、丸山はそれをスターリンの『レーニン主義の基礎』の代替として活用している。
 
== 著書 ==