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'''呂 翔'''(りょ しょう、生没年不詳)は、[[中国]]の[[後漢]]時代末期の武将。[[兗州]]東平郡の人。『[[後漢書]]』[[袁紹]]伝での名は「'''高翔'''」(後の蜀漢に同姓同名の武将がいるが、さすがに別人であろう)となっている。
== 正史の事跡 ==
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== 物語中の呂翔 ==
『[[三国志演義|演義]]』では[[呂曠]]の弟とされている。[[袁譚]]の説得を受けた後に兄弟で曹操に降った。列侯に封じられた件、袁譚からの将軍の印綬の件は、史実と同様である。その後、兄・呂曠と共に[[曹仁]]配下に属し、曹仁に懇願して5千の兵で新野の[[劉備]]を襲うが、敗戦して[[張飛]]に矛の一撃で仕留められる。
== 参考文献 ==
*<span style="font-size:90%;">『[[
*『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏書1武帝紀
*同
*『[[三国志演義
[[Category:三国志の登場人物|りよ しよう]]
[[en:Lü Xiang]]
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