「極付幡随長兵衛」の版間の差分

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== 概略 ==
17世紀中期に実際に起こった事件をもとにしている。天下太平が続いて将軍の親衛隊である旗本は堕落して素行が悪くなり、旗本奴と呼ばれる集団を作って江戸の町で乱暴を働いていた。町奴と呼ばれていた侠客は町人と連帯感を持ち、旗本奴と争乱を起こしていた。長兵衛と水野の事件もその一つで、芝居に取り上げられていた。特に[[鶴屋南北 (4代目)|四代目[[鶴屋南北]]の浮世柄比翼稲妻稲妻草紙)の「御存鈴ヶ森」の場はその代表作である。浪曲や講談、さらに映画にもなり、[[坂本九]]主演九ちゃん刀を抜いて、[[阪東妻三郎]]・[[市川右太衛門]]主演大江戸五人男などがある。「幡随院長兵衛」の名が「幡随長兵衛」となっているのは、[[歌舞伎#外題|外題]]の文字は奇数にする慣習のためである。
 
活歴物を編み出した[[市川團十郎 (9代目)|九代目市川團十郎]]のために作られたので史実に忠実である。
 
長兵衛は武家出という設定で、演じ方にも普通の侠客として演じてはならず'''、「行儀作法なども、他の侠客とは変えなければならず、天保時の侠客や唐犬権兵衛などでは、同じ親分でも親指を人差し指の腹につけ、軽く手を握った形で、膝の傍へその手をつくように挨拶しますが、長兵衛は水野の邸で手をついてお辞儀をする時、キチンと畳に掌をつけてお辞儀をしなければなりません。そんなことで長兵衛の風格が舞台に浮きあがって来るものなのです。」(七代目松本幸四郎)'''という芸談が残されている。
 
序幕の村山座の場では歌舞伎では珍しく劇中劇の形をとっており、明治の新作ではあるが、初期[[浄瑠璃]]や[[荒事]]に多大な影響を与えた[[金平浄瑠璃]]が唯一現行歌舞伎の演目として残っている場面である。また客席から長兵衛が現れるなど娯楽性に富んだ一幕である。
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水野は[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]、[[市川左團次 (2代目)|二代目市川左團次]]、[[実川延若 (3代目)|三代目実川延若]]、[[尾上松緑 (2代目)|二代目尾上松緑]]が持ち役とした。
 
セリフ[[科白]]も多い。上記のセリフ科白のほか、序幕の「名が幡随院の長兵衛でも仏になるにゃアまだ早え。」とか二幕目の「天秤棒を肩にかけ」、三幕目の「時候も丁度木の芽時」など、黙阿弥独自のリズミカルなセリフ調子の良い科白が有名で、聞きどころとなっている。
 
== 初演時の配役 ==