「フアナ1世 (ナバラ女王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
[[Image:JoanINavarre.gif|thumb|right|200px|フアナ1世]]
'''フアナ1世'''([[スペイン語]]:'''<span lang="es">Juana I</span>''', [[1271年]]頃 - [[1305年]][[4月4日]])は、[[ナバラ王国|ナバラ]]女王および[[シャンパーニュ伯|シャンパーニュ女伯]](在位:[[1274年]] - [[1305年]])。シャンパーニュ伯としては'''ジャンヌ'''([[フランス語]]:'''<span lang="fr">Jeanne</span>''')。[[エンリケ1世 (ナバラ王)|エンリケ1世]]とその妃ブランカ([[ブランシュ・ダルトワ]]、[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の弟[[アルトワ]]伯[[ロベール1世 (アルトワ伯)|ロベール1世]]の娘)の一人娘。後に[[フランス王国|フランス]]王[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の王妃となった。
 
1274年、父王エンリケ1世(シャンパーニュ伯アンリ3世)の死去により王位と伯位を継承した。幼少だったので母親が摂政として政務を執ったが、幼い女王に女性の摂政、さらに相続人の少なさといった点がナバラ内外の対立勢力に付け込まれることとなった。そこで母子はフランス王[[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]に庇護を求めた。[[1284年]][[8月16日]]にフアナは王太子フィリップ(後の[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]、ナバラ王としてはフェリペ1世)と結婚して共同統治を行ない、以後半世紀ほどナバラとフランスは[[同君連合]]となった。フィリップとの間に、ルイ(スペイン語名ルイス、後の[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]])、フィリップ(フェリペ、後の[[フィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世]])、シャルル(カルロス、後の[[シャルル4世 (フランス王)|シャルル4世]])、[[イザベラ・オブ・フランス|イザベル]](イサベル、[[イングランド]]王[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]妃)らをもうけた。