「シグマロケット」の版間の差分

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[[国際地球観測年]](IGY)にあわせ、[[カッパロケット]]と並行して開発されたのが'''シグマロケット'''であり、[[ベビーロケット]], [[アルファロケット]]と続いたIGYに関わるロックーン開発の最終型である。空気の薄い高度25kmまで気球で上昇し、その気球から100m下にロープで吊り下げられたロケットを発射する「ロックーン」('''Rock'''et Ball'''oon''')と呼ばれる形式のものであり、高度100km到達を目指して開発が進められていた。
 
[[1958年]]初頭に始まったシグマロケットの開発は、気象に恵まれないことや気球開発の難航、またΣ-2型2号機が地上で着火する等の困難に見舞われ、計画は中々進まなかった。それによって当初の目標であったIGYでの高空観測は達成できず、以後の計画は生産技術研究所AVSA班に引き継がれた。開発計画が大きく3期に分けられる内、第3期では[[1960年]]10月にΣ-3型1機の打ち上げと[[1961年]]6月にΣ-4型2機の打ち上げが行われた。1961年[[6月18日]]に青森県六ヶ所村尾駮海岸からΣ-4 2号機が打ち上げられ、ついに高度105kmを達成した。しかしIGYには間に合わなかった。
 
当時の主流な観測ロケットであった[[カッパロケット#K-8|K-8]]と比較して必ずしも経済的だとはいえないことなどから、以後の観測ロケット開発はカッパロケットを中心に進められ、シグマロケットが用いられることはなかった。その後ロックーン研究の成果は同研究所の大気球実験へと引き継がれていく。
 
余談であるが、宇宙科学研究所において[[再使用型宇宙往還機|再使用型宇宙輸送機]]として提案がなされた有翼飛翔体[[HIMES]]に関わる再突入実験が[[1988年]]と[[1992年]]に行われ、その打ち上げにはロックーン方式が用いられている。
 
== 打ち上げ実績 ==
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[[Category:ロケット]]
[[Category:日本のロケット]]