削除された内容 追加された内容
Muro Bot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: es:Consolidated TBY Sea Wolf
画像を追加 本文加筆 構成を変更
1行目:
[[image:TBY-1_NAN3-80.jpg|thumb|250px|right|TBY(TBU)シーウルフ]]
'''TBU'''シーウルフは[[第二次世界大戦]]の後期にヴォート社が開発した艦上攻撃機である。試作機はグラマン社が開発した[[TBF]]と競作になったが、TBFを大きく凌ぐ性能を示した。しかし、エンジンが当時の主力戦闘機[[F6F_(航空機)|F6F]]や[[F4U_(航空機)|F4U]]と同じ物を搭載したため十分に供給を受けることができず生産が遅れ、量産機が引き渡されたのは1944年11月になってしまった。このため、合計180機の生産機は実戦に参加することなく終わり、終戦後は陸上基地において雑用機として利用された。
'''TBU'''は[[第二次世界大戦]]の後期に[[ヴォート・エアクラフト・インダストリーズ|ヴォート社]]が開発した艦上攻撃機である。愛称はシーウルフ(SeaWolf:タイセイヨウ[[オオカミウオ]]の意)。
 
なお、量産発注時にはヴォート社では[[F4U_(航空機)|F4U]]生産で工場に余裕がなかったため、生産はコンソリデーテッド社に移管された。そのため、名称は'''TBY'''に改められている。
 
== 概要開発 ==
[[1939年]]3月にアメリカ海軍は、当時主力艦上攻撃機だった[[TBD (航空機)|TBDデバステーター]]の後継機の開発を航空メーカー各社に要求した。この要求に応じた各社の機体案からヴォート社とグラマン社の案が選ばれ、それぞれ'''XTBU-1'''、XTBF-1として試作発注を受けた。XTBU-1の第1号機は[[1941年]][[12月]]に初飛行に成功した。
 
試作機は[[グラマン]]社が開発した[[TBF_(航空機)|XTBF]]よりも遅れて初飛行したが、XTBFに比べて大馬力のエンジンを搭載したこともあってXTBFを大きく凌ぐ性能を示し、XBTFに先んじて採用が決定された。
XTBU-1は、胴体中央部に爆弾倉を持つ中翼の単葉機で、機体の規模はライバルであるXTBF-1とほぼ同じであったが、エンジン直径に胴体を合わせる形をとったため、ややスマートな外観となった。この機体により強力な2000hpのP&WR-2800-6を搭載したため、速度、上昇性能等多くの面でXTBF-1を上回る性能を示した。主脚は後方に引き込む方式を採用した。
しかし、性能面ではXTBF-1を上回っていたのにもかかわらず、XTBU-1が発注を受けたのは[[1943年]]9月になってからだった。しかも、この時ヴォート社は[[F4U_(航空機)|F4U]]の生産で手一杯だったことから、生産はコンソリデーテッド社に移管され、名称も'''TBY-2'''となった。この時には、ライバルのTBFは大量生産され続々と実戦配備されており、本機の活躍の場が制限されるのは明白な状態であった。
 
== 機体 ==
XTBUの発注が遅れた最大の理由は、搭載したR-2800エンジンが当時の主力戦闘機として大量生産を実施していた[[F6F_(航空機)|F6F]]や[[F4U_(航空機)|F4U]]と同じだったため、本機のような攻撃機にまでエンジンを供給する余裕がなかったためである。また、TBFは主翼の折りたたみ方式を工夫して小型護衛空母搭載に気を使うなど実用面で優れており、生産も順調だったことから、海軍ではこれ以上新機種を採用することに消極的だったことも、発注遅延の要因だった。
XTBU-1TBU胴体中央部に爆弾倉を持つ中翼の単葉機で、機体の規模はライバルであるXTBF-1とほぼ同じであり、機内に兵装庫を設置し主兵装を収納式とし点、後方に向けて電動式の防御銃座を持つ点や機腹部後端に後下方向けの防御機銃を持つ点などもTBFと同様であるが、エンジン直径に胴体を合わせる形をとったため、ややスマートな外観となった。空力的に有利な細身の機体により強力な2000hpのP&WR-2800W R-62800(2000hp)を搭載したため、速度、上昇性能等多くの面でXTBF-1を上回る性能を示した。主脚は後方に引き込む方式を採用した。
 
反面、上方に単純に跳ね上げる主翼の折り畳み方式や高い垂直尾翼は小型の空母での運用には制限があり、機体重量がTBFよりも重いために離着艦にも若干長い距離を必要とした。また、細身の機体であるために着艦時に機尾のフックを空母甲板上の制動索に引き掛けるのが難しい、という評価があった。主脚は後方に引き込む方式を採用していたが、これはカタパルトによる発艦に際しては強度的な不利を生じる事となった。
TBY-2としては1100機の発注を受けたが、コンソリデーテッド社での生産ははかどらず、生産第1号機が海軍に引き渡されたのは[[1944年]]11月になってしまった。その後[[1945年]]9月までに180機が完成したが、[[太平洋戦争]]終結により残りの生産はキャンセルとなった。部隊配備は1945年の4月から開始されたが、対日戦には参加することなく終わった。終戦後は、陸上基地において雑用機として用いられた。
 
== 生産・運用 ==
[[1941年]]暮に初飛行かし、たXTBU-1は性能面ではXTBF-1を上回っていたのにもかかわらず、XTBU'''TBU-1'''として発注を受けたのは[[1943年]][[9月]]になってからのことであった。これは初飛行後量産に当たっての細な改良に手間取ったことと、この時ヴォート社は[[F4U_(航空機)|F4U]]の生産で手一杯だったことから、TBUの生産はコンソリデーテッド社移管され、名称も'''TBY-2'''となった。この時には、廻すライバルTBFは大量生産され続々と実戦配備されており、本機の活躍の場都合制限さつけらるのは明白状態かったためであった<br>
このため、翼内機銃の追加/AN/ASP-4レーダーの装備/HVARランチャー及び翼下兵装パイロンの増設/エンジンのR-2800-20への換装 といった改良がなされると共に生産は[[コンソリデーテッド・エアクラフト|コンソリデーテッド社]]に移管され、名称も'''TBY-2'''となった。この時には既にライバルのTBFは大量生産され続々と実戦配備されており、本機の活躍の場が制限されるのは明白な状態であった。
 
XTBUの発注が遅れた最大の理由は、搭載したR-2800エンジンが当時の主力戦闘機として大量生産を実施していた[[F6F_(航空機)|F6F]]や[[F4U_(航空機)|F4U]]と同じであったため、本機のような攻撃機にまでエンジンを供給する余裕がなかったためである。また、離着艦必要距離が長く、従来型の翼折り畳み方式のために小型空母での運用が困難な本機と違い、TBFはカタパルトによる発艦を前提とした設計とし、主翼の折りたたみ方式を工夫して小型護衛空母への搭載に気を使うが容易であることなど実用面で優れており、生産も順調だったことから、海軍ではこれ以上新機種を採用することに消極的だったことも、発注遅延の要因だった。
 
TBY-2としては1100機の発注を受けたが、コンソリデーテッド社も[[B-24 (航空機)|B-24爆撃機]]の生産を初めとして生産能力に余裕がなかったため、TBYの生産は[[1943年]]にコンソリデーテッド社と合併した[[バルティ|ヴァルティー]]社の工場で行われることとなった。しかし、ヴァルティー社は大型の艦載機を生産した経験がなかったために生産ははかどらず、生産第1号機が海軍に引き渡されたのは[[1944年]][[11月]]になってのこととであった。結局、[[1945年]][[9月]]までに180機が完成したが、[[太平洋戦争]]終結により残りの生産はキャンセルとなった。<br>
部隊配備は[[1945年]][[4月]]から開始されたが、対日戦には参加することなく終わった。終戦後は、陸上基地において雑用機として用いられた。
 
 
TBU/TBYとTBF(TBM)は[[F4U (航空機)|F4U]]と[[F6F (航空機)|F6F]]に類似した関係であったが、F4Uと違い、TBUが戦後も長く使われる事はなかった。TBUは、高性能機が必ずしも成功するとは限らない、といういくつかの例の一つである。
 
== スペック ==
18 ⟶ 30行目:
* 全幅:17.35 m
* 全高:4.72 m
* 自量:5,000 kg
* 全備重量:8,386 kg
* エンジン:P&W R-2800-20 空冷星型18気筒 2,000hp&times;1
25 ⟶ 38行目:
* 武装
** 爆弾 904 kg または 魚雷&times;1
** 12.7mm機関銃&times;4(前方固定 3及び旋回銃塔1)
** 7.62mm機関銃&times;1
 
** 12.7mm機関銃&times;4
* 乗員 3名
 
== 関連項目 ==
*[[TBF (航空機)|グラマン TBF アヴェンジャー]]
* [[爆撃機一覧]]
 
* [[爆撃機一覧]]
 
{{アメリカ海軍の爆撃機}}