「走り坊主」の版間の差分

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その生活は、大飯食らいで大酒飲みで、一日に米1升、酒1升、餅1升を飲み食いしていたといい、正月の[[雑煮]]の餅は50くらいは訳もなかったと伝えられる。彼が三度の食事に使った朱塗りの大椀が没後も残されていた。ただ、女性には全く興味がなく、言い寄る女性があっても、信徒のお布施とお斎を済ませれば、「はい、さようなら」と一目散にまた走り出したという。酒には目がなく、酔っ払って走り、電柱に鼻柱をぶつけたり、交番に連れて行かれたこともあったが、「走り坊主」であることが判明すると、難なく放免されたという。
 
1918年(大正7年)11月20日、日本中を席捲した[[流行性感冒スペイン風邪]]によって亡くなった。感冒によって病に臥した後も、飲酒をやめることなく、飲み通して亡くなったという。
 
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