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'''藤原興風'''(ふじわら の おきかぜ、生没年不詳)は、[[平安時代]]の[[貴族]]・[[歌人]]。[[藤原京家]]の出身、[[参議]][[藤原浜成]]の曾孫。[[相模国|相模]][[掾]][[藤原道成]]の子。[[正六位|正六位上]]・[[治部省|治部少丞]]。[[三十六歌仙]]の一。
{{文学}}
'''藤原興風'''(ふじわら の おきかぜ、生没年不詳)は、[[平安時代]]の[[歌人]]。[[三十六歌仙]]の一。
 
治部少丞(じぶのしょうじょう){{和暦|900}}父と二代続けて相模掾に任ぜられる。{{和暦|904}}[[上野国|上野]]権大掾{{和暦|914}}[[総国|総]]大掾などと[[地方官]]を歴任し、最高位は[[正六位上]]治部に至る。官位は低かったが[[古今和歌集]]の時代における代表的な歌人で、「寛平后宮歌合」・「亭子院歌合」などの[[歌合]]への参加も多く見られる。音楽『古今和歌集』以下の[[勅撰和歌集]]に42首が入集。家集に『興風集』がある。管弦にも秀でていたと言わている。
[[藤原京家]]の出身。父は相模掾[[藤原道成]]、[[曾祖父]]は「[[歌経標式]]」の著者とされる[[藤原浜成]]。
 
治部少丞(じぶのしょうじょう)、[[下総国|下総]]大掾などを歴任し、最高位は[[正六位上]]治部丞。官位は低かったが「[[古今和歌集]]」の時代における代表的な歌人で、「寛平后宮歌合」・「亭子院歌合」などの[[歌合]]への参加も多く見られる。音楽にも秀でていたと言われている。
 
「[[古今和歌集]]」以下の[[勅撰和歌集]]に入集。家集に「興風集」がある。
 
*小倉百人一首
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[[Category:平安時代の歌人]]
[[Category:小倉百人一首の歌人]]
 
[[category:藤原京家|おきかせ]]