「有栖川流」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
5行目:
[[霊元天皇]]の書風を受け継ぎ、江戸時代後期、書道・歌道を家学とした[[有栖川宮]]家の五代目当主・[[職仁親王]]([[霊元天皇]]皇子)によって創始され、八代目[[幟仁親王]]によって大成された。
 
明治の[[五箇条の御誓文]]の正本は、[[幟仁親王]]により、この有栖川書道の書体で記されている。また[[昭和天皇]]の[[武蔵陵墓地|武蔵野陵]]の陵誌(墓誌にあたる)は、継承者の一人である[[文仁親王]]の[[揮毫]]によるため、有栖川流で書かれたといえる。
 
明治以降は[[有栖川宮]]家から[[徳川實枝子]](有栖川宮家出身)を経て[[高松宮]][[宣仁親王妃喜久子]]に受け継がれ、現皇室においては[[秋篠宮文仁親王]]、[[常陸宮]][[正仁親王妃華子]]が喜久子より伝授され、継承されている。