「デーブ・ロバーツ (1933年生の内野手)」の版間の差分

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{{Otheruses|かつて日本で活躍した野球選手|MLBに所属している1972年生まれの野球選手|デイブ・ロバーツ}}
 
'''デーヴ・ロバーツ'''('''David Leonard "Dave" Roberts'''、[[1933年]][[6月30日]] - )は[[パナマ]]・[[パナマシティ]]出身の元プロ野球選手。
 
== 来歴 ==
[[1958年]]にプロ入り。数球団を渡り歩いた後の[[1962年]]、[[ヒューストン・アストロズ|ヒューストン・コルト45's]]でメジャー初出場。[[ピッツバーグ・パイレーツ]]を経て[[1967年]]に[[東京ヤクルトスワローズ|サンケイアトムズ]]入団。来日初本塁打は4月22日、[[後楽園球場]]での対[[読売ジャイアンツ]]1回戦で記録している
 
当時の同僚であった[[ルー・ジャクソン]]とともに弱小だったアトムズ打線を支え、特に長打力はリーグトップクラス。[[セントラル・リーグ]]の本塁打王争いでは独擅場であった[[王貞治]]の牙城を度々脅かしたがタイトル奪取は叶わなかった。
 
1960年代の外国人選手の中では成績はトップクラスで、サンケイ及びアトムズには、計7年半在籍した。ヤクルト球団(前身の国鉄スワローズ、サンケイ球団も含む)に入団した助っ人外人の在籍年数7年期間として[[アレックス・ラミレス]]が[[2007年]]に並ぶまでは球団記録トップだった。[[1973年]]、ヤクルトチームが[[ジョー・ペピトーン]]を獲得したことにより伴いロバーツはシーズン途中で[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]移籍。バファローズではわずか2本塁打しか打てず、同年オフに引退・帰国した。
 
日本文化に積極的に溶け込もうと努力し、チームメイト・首脳陣からの信頼も厚く、「日本人以上の日本人」と言われていた。