「ルイ6世アンリ (コンデ公)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
君主
編集の要約なし
4行目:
[[ルイ5世ジョゼフ (コンデ公)|コンデ公ルイ5世]]とシャルロット・ド・ローアン=スービーズの第1子として生まれる。妹は、ルイーズ・アデライード。初めは[[ブルボン公]]で、[[1818年]]に父の死により[[コンデ公]]となる。
 
[[1777年]]の[[謝肉祭]]の[[仮面舞踏会]]で、妻の[[ルイーズ・マリー・バティルド・ドルレアン|バティルド]]([[:de:Bathilde d’Orléans]][[オルレアン公]][[ルイ・フィリップ1世 (オルレアン公)|ルイ・フィリップ1世]]の長女)が、同じく舞踏会に出席していたアルトワ伯(後の[[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]])の愛人の仮面を取ったところ、カッとなったアルトワ伯はバティルドの顔面を殴った。後日、バティルドの舅のコンデ公はアルトワ伯に謝罪請求をしたが、無視されてしまう。怒りの収まらないコンデ公に促されて、息子のブルボン公はアルトワ伯に[[決闘]]を申し込んだ。そして数日後、2人はブーローニュの森で剣を抜いて決闘をした。決闘自体は、途中で立会人が割って入ったので、ブルボン公の方が傷とも言えない掠り傷を負っただけで済んだ。
 
[[1787年]]の[[名士会]]では、父と共に出席し、あらゆる改革に反対した。[[1788年]]12月2日に[[ヴェルサイユ宮殿]]に参内し、アルトワ伯、父コンデ公、息子の[[アンギャン公ルイ・アントワーヌ]]、[[ルイ・フランソワ2世 (コンティ公)|コンティ公ルイ・フランソワ2世]]とともに、[[全国三部会]]の頭数による投票に反対する覚書を[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]に提出した。
16行目:
[[Category:ブルボン公]]
[[Category:ブルボン=コンデ家]]
[[Category:王党派 (フランスブルボン朝革命)]]
[[Category:フランス復古王政]]
[[Category:自殺した人物]]
[[Category:1756年生]]