「李元昊」の版間の差分

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{{基礎情報 中国君主
'''李 元昊'''(り げんこう、[[1003年]] - [[1048年]])は、[[中国]]の[[西夏]]王朝の初代[[皇帝]]。[[廟号]]は'''景宗'''(けいそう、在位[[1038年]] - 1048年)。
|名 =景宗 李元昊
|代数 =初
|呼称 =皇帝
|画像 =
|説明 =
|王朝 =西夏
|在位期間 =[[1032年]] - [[1048年]]
|都城 =
|諱 =李元昊
|字 =
|小字 =
|諡号 =武烈皇帝
|廟号 =景宗
|生年 =[[1003年]]
|没年 =[[1048年]]
|父 =[[李徳明]](長子)
|母 =衛慕氏
|皇后 =
|陵墓 =泰陵
|年号 =[[顕道]] : [[1032年]] - [[1033年]]<br/>[[開運 (西夏)|開運]] : [[1034年]]<br/>[[広運 (西夏)|広運]] : [[1034年]] - [[1035年]]<br/>[[大慶 (夏景宗)|大慶]] : [[1036年]] - [[1038年]]<br/>[[天授礼法延祚]] : [[1038年]] - [[1048年]]
|注釈 =
}}
 
'''李元昊'''(り げんこう)は[[西夏]]の初代[[皇帝]])。
 
[[タングート]]の族長の[[家系]]の出身。父は西平王の地位にあった人物である。李元昊は若い頃から智勇に優れ、教養も豊かな人物であった。[[1032年]]、父の死により西平王の地位を継ぎ、1038年までにタングートの諸部族を武力によって併合したことを背景にして国号を大夏と号し、皇帝として即位した。[[北宋]]からは西夏と呼ばれる。
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