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[[Image:Palast der Republik 01 june 1977.jpg|thumb|300px|right|ベルリンの共和国宮殿、1977年 (taken by István Csuhai, Hungary) ]]
'''共和国宮殿'''('''Palast der Republik''')は[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)の首都[[東ベルリン]]の中心部にあった建築。[[シュプレー川]]の中州のシュロスプラッツ(Schlossplatz、王宮広場)と[[ルストガルテン]](Lustgarten)の間に建つ近代建築で、東ドイツの人民議会(Volkskammer)の会場とコンサートホール、美術館、13つののレストラン・カフェ・バー、ボウリング場、ディスコなどが入居していた。[[プロイセン王国]]の宮殿・[[ベルリン王宮]](Stadtschloss)の跡地に[[1976年]]に完成したが、[[1990年]]に閉鎖され、[[2006年]]から解体工事に入り2008年末には完全に撤去された。
 
== 建設 ==
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== アスベスト問題 ==
[[Image:InsidePalast2003.JPG|thumb|left|220px|2003年、アスベストや内装が除去され一般に公開された建物内部]]
[[ドイツ再統一]]([[1990年]]10月)の直前、共和国宮殿の内部に大量の[[石綿|アスベスト]]が使われていることが分かったため、人民議会の決定で[[1990年]][[9月19日]]から宮殿は一般の立ち入りが禁止されることになった。[[2003年]]までにアスベストのすべて、および内装はすべて除去されて取り壊しができる状態となった。
 
がらんどうの建物は2003年夏から一般に公開されたが、建築家や演劇人などからなる圧力団体「中間宮殿使用登録団体」が政府に対して取り壊しまでの間文化イベントのために自由に使わせるよう運動を起こし、[[2004年]]春からは様々なプロジェクトや展覧会が開催され多数の観客を集めた。現代美術展、中国の[[兵馬俑]]展、建築と都市のシンポジウム、[[アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン]]のライブなどがその一部である。
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== 解体 ==
[[Image:Palast der Republik und Fernsehturm.jpg|thumb|220px|解体される共和国宮殿(2007年夏)]]
共和国宮殿は東ドイツの時代を物語る負の歴史や、東ドイツ生活の記憶と結びついた建物であるとして、取り壊しに反対するデモや集会もあった。しかし、2003年11月、ドイツ連邦議会は共和国宮殿の取り壊しと、ベルリン王宮の再建資金が集まるまでの間は跡地を駐車場にすることを議決した。解体は[[2006年]][[2月6日]]から15カ月の予定で始まった。解体作業は周囲の歴史的建造物、例えば[[ベルリン大聖堂]]などに衝撃を与えないよう慎重にゆっくりと進められており、解体費用は1,200万ユーロに達すると見積もられている。しかしさらにアスベストが発見されるなどして作業は遅れ、解体完了予定は[[2008年]]末にずれこんでいる。解体後、共和国宮殿跡は地面が穴のように大きくむき出しになった状態で、敷地の一部にはカラフルなコンテナ型をした仮設美術館が建っている。
 
王宮の再建資金の募集は続いており、最低でも4億ユーロは必要とみられている。
 
== 脚注 ==
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<references />
 
== 外部リンク ==