「平王 (周)」の版間の差分

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'''平王'''(へいお)は[[周|周朝]]の第13代王。平王の時代より周は[[東周]]と称されるようになる。
 
宜臼は元来[[幽王 (周)|幽王]]の太子であったが、褒姒が後宮に入り寵愛を受け、[[伯服]]を設けると、廃太子され、宜臼は申へ逃れた。母であり同じく廃后された申后の父である申侯はこれに怒り、幽王が悪戯で烽火を用い諸侯を集め、それにより諸侯の信頼を失っていた機に乗じ、西方の[[犬戎]]と協力して幽王を攻撃した。[[紀元前771年|前771年]]、幽王と伯服は[[驪山]]において殺害され、褒姒も犬戎により連れ去られ、ここに[[周|西周]]は滅亡する。