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'''本草和名('''(ほんぞうわみょう)'''とは[[深根輔仁]]撰による日本現存最古の薬物辞典(本草書)ある。'''輔仁本草'''(ほにんほんぞう)などの異名がある。
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'''本草和名(ほんぞうわみょう)'''とは[[深根輔仁]]撰による日本現存最古の薬物辞典(本草書)である。
==概要==
本書は[[醍醐天皇]]に侍医・権医博士として仕えた深根輔仁(ふかねすけひと・生没年不詳)[[延喜]]年間に編纂した薬名辞典で現在上下二巻全十八編。[[唐]]古写『[[新修が江戸幕府草]]』を範に取り、そ他漢籍家「丹波(多紀)元簡」(たんばげんかん)薬学書より再発見さ書かた薬物に[[倭名]]を当てはめ伝えられ日本での産出の有無及び産地を記している。実用に供された医当時の書では問水準より比定の誤りどが見られるが、平安初期以前の薬物の和名をことごとく記載しておりかつ来歴も明らかで、本拠地である中国にも無いいわゆる逸文が大量に含まれ、散逸医学文献の旧態を知る上で、また中国伝統医学の源を探る上でも貴重な資料である。また、[[丹波元簡康頼]]の『[[医心方]]』より発見も引用された古写本の現時点の所在は不明であが、それをなど後世の医学・博物学に写し響を与え。また、[[森立之平安時代]](もりりっし)前期蔵本が台湾国語学史[[故宮博物院]]に現存す研究の上でも貴重な資料である。
 
その後、長く不明になっていたが、[[江戸幕府]]の医家[[多紀元簡]]が[[紅葉山文庫]]より上下2巻全18編の古写本を発見して再び世に伝えられるようになった。多紀元簡により発見された古写本の現時点の所在は不明であるが、多紀が[[寛政]]8年([[1796年]])に校訂を行って刊行し、6年後に民間にも出された版本が存在する他、古写本を影写した[[森立之]]の蔵本が台湾の[[故宮博物院]]に現存する。
 
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医学のみならず、国語学史・博物学の重要資料である。
[[Category:日本平安時代の文学作品|ほんそうわみよう]]
[[Category:伝統医学]]
[[Category:薬学]]
[[Category:日本の医書]]