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'''ケナン・エヴレン'''('''{{lang|tr|Ahmet Kenan Evren'''}}, [[1918年]][[7月17日]]‐)は、[[トルコ]]の[[軍人]]、[[政治家]]。[[トルコ共和国参謀本部|参謀総長]]在任時の[[1980年]]に軍事[[クーデター]]([[9月12日クーデター]])を起こし、トルコ共和国第7代[[トルコの大統領|大統領]]に就任した。
 
== 経歴 ==
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新憲法では、参謀総長({{lang|tr|Genelkurmay Başkanı}})の権限強化や、[[国家安全保障会議_(トルコ)|国家安全保障会議]]({{lang|tr|Milli Güvenlik Kurulu}})における軍の主導権確立が制度的に保障された他、[[1980年]]のクーデターに対する免責条項により民政移管後の訴追も禁止されるなど、軍部の権限が大幅に強化されることになった。こうした軍の政治介入や、軍政期間中に行われた政治家の自宅軟禁や反体制派に対する拷問や処刑は、現在でも欧米諸国からの非難の対象となっている。一方で、トルコ国内では治安回復の功績や、[[ケマル・アタテュルク|アタテュルク]]の建国理念([[ケマリズム]])への回帰を評価する国民も多い。
 
[[1989年]]に、任期満了により大統領を退任した後は、[[エーゲ海]]沿岸の[[マルマリス]]に隠棲して趣味の絵を描く生活を送る。何度か暗殺計画の対象になったこともある。[[2006年]]にかつて逮捕した[[ビュレント・エジェヴィト]]が死去したとき、クーデター時に政治家を逮捕したことを後悔する発言をした。さらに[[2007年]]、政権担当時の[[クルド人]]に対する政策の誤りを認める発言をしたため、[[分離主義]][[プロパガンダ]]の容疑で検察による捜査が開始されたが、中止された。
 
==関連項目==
* [[9月12日クーデター]]
 
==外部リンク==