「交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)」の版間の差分

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このような厳しい状況にさらされる中、ショスタコーヴィチはそれを超人的精神力で耐え抜き、名誉回復を図って次の作品の作曲を開始した。その作品の1つが、この'''交響曲第5番'''である。交響曲第5番は、第4番などに見られるような先進的で前衛的な複雑な音楽とは一線を画し、古典的な単純明瞭な構成が特徴となっている。この交響曲第5番は革命20周年という「記念すべき」年に初演され、これは熱烈な歓迎を受けた。
 
 初演時、フィナーレの途中から興奮した観客が自然に立ち上がり、終わると猛烈な[[スタンディングオベーション]]となり'''、「荒れ狂ったような喝采をー可哀想なミーシャ(ショスタコーヴィチ)を陥れたすべての迫害に対するデモンストレーションのような喝采を送った。みな、同じフレーズを繰り返した。『(プレッシャーに)答えた。立派に答えた。』ショスタコーヴィッチは下唇を噛みながら舞台に現れたが、泣いているかのようであった。」([[ユーリ・シャポーリン|シャポーリン]]夫人)'''と証言のような騒ぎとなった。かえって体制への抗議活動と見なされることを恐れた関係者の機転で、作曲者は裏口から脱出したが、体制側はむしろこの作品を歓迎し、ソ連作家同盟議長[[アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ|A・トルストイ]]の論文で絶賛されたのである。
 
 初演直後、ショスタコーヴィチ本人は、友人の指揮者[[B・ハイキン]]に「フィナーレを長調のフォルテシモにしたからよかった。もし、短調のピアニッシモだったらどうなっていたか。考えただけでも面白いね。」と皮肉っぽいコメントを残している。