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'''神体山'''(しんたいさん)とは主に[[神道]]において[[神 (神道)|神]]が宿るとされる[[山岳信仰]]や[[神奈備]](かんなび・神々が神留まる森林を抱く山)の[[山]]をいう。
 
また、「霊峰」ともよばれ[[霊峰富士]]として、[[富士山]]が代表的なものである。また[[峠]]や[[坂]]という小さな[[峰]]も[[神域]]や[[神 (神道)|神]]が宿る場所とし畏怖畏敬した。
 
== 概略 ==
[[文化人類学]]の[[アニミズム]]論によれば、[[人類]]が[[生]]と[[死]]という現象を客観的に捉え、それを[[自我]]や[[意識]]わせた[[観念]]として「[[命]]」という認識を作り出し、[[生き物]]や[[自然]]の[[山河]]や[[岩]]や木々にも命や神や[[霊]]が宿ると考えた。これは、[[日本]]において同様であり、[[神道]]、特に[[縄文時代]]以前からある[[縄文神道]]といわれる[[古神道]]([[6世紀]]以前の外来の[[習俗]]に影響される前の神道で、現在の日本の[[民間信仰]]でもある)においては、大きいものや長くあるものや古いものに、より位の高い神が宿ると考えた。
山岳に[[神]]が宿るとする[[信仰]]は[[古代]]の[[日本]]にも存在した。日本では古代の神社の多くが神体山信仰に起源があり、その理由について各説がある。たとえば[[景山春樹]]は[[古墳]]や[[塚]]と同様に[[祖霊]]信仰に始まり、やがて[[山]]そのものを信仰の対象とする自然神道的な形態に変遷し、後に山中の祖霊神に農耕の神の観念が重なっていったと解釈している <ref>景山春樹『神体山』学生社、1971年。</ref>。
 
その代表的なものが山や峰峰([[連峰]])であり山岳信仰という。山岳信仰は日本に限らず、世界中にあり、同時発生的に生まれたとされる[[巨木信仰]]や[[巨石信仰]]ともつながり、[[イギリス]]の[[ケルト民族]]の[[ストーンサークル]]ような[[環状列石]]や[[列石]]群は、世界はもとより、日本にもあり[[磐座]](いわくら)信仰という。また巨木信仰も[[トーテムポール]]や日本の[[神木]]などがあり、日本においては[[神籬]](ひもろぎ)信仰といわれる。
 
この二つが同時に結びついたものとして、[[神奈備]](かんなび)といわれるものがあり、山岳信仰の一つの形でもある。古くは神奈備は磐座とともに、普通の山だけでなく、[[火山]]や森を抱かないいわゆる裸山や禿山も信仰の対象としたが、神奈備は木々や森林を抱く集落に隣接する山として鎮守の森に変わっていき、磐座は巨石信仰としての色合いが強くなり、[[夫婦岩]]などにみられる奇岩や奇石信仰としての霊石のかわり、現在では神籬と合わせ[[神社神道]]の[[玉垣]]の原型といわれる。
 
山岳に[[これらの古]]が宿るとする[[道の信仰]]された場所に、現在の多くの神社神道の「社(やしろ)」が建立され、賽神[[古代]]自然そのもから「[[日本]]」(みこと)といわれる人格神も存在し取って代わっていった。日本でこのことは古代の神社の多くが神体山信仰(神奈備)に起源があり、その理由について各説がある。たとえばが、[[景山春樹]]は[[古墳]]や[[塚]]と同様に[[祖霊]]信仰に始まり、やがて[[山]]そのものを信仰の対象とする自然神道的な形態に変遷し、後に山中の祖霊神に農耕の神の観念が重なっていったと解釈している <ref>景山春樹『神体山』学生社、1971年。</ref>。
 
基本的には「[[鳥居]]→[[社殿]]→神体山」という序列があり、参拝者の後方に神体山が存在する場合にも[[参道]]を考慮に入れるとこの序列は成立しているとする研究がある <ref>富沢雄史・峰岸隆・寺地洋之・加藤祐策「神体山にみられる古代信仰形態と神社の配置構成―神社の空間構造に関する研究(その2)」「学術講演梗概集(F-2 建築歴史・意匠)」(日本建築学会)1996年7月。</ref>。
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後世には[[仏教]]信仰の[[山岳信仰]]と習合し、[[修験道]]における登拝も活発化した <ref>斎藤忠『日本考古学用語辞典』学生社、1992年。</ref>。
 
 
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== 霊峰富士 ==
=== 富士詣・富士見山 ===
== 関連項目 ==
*[[依り代]]