「アンドレイ・ペルロフ」の版間の差分

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==エピソード==
* [[1991年世界陸上選手権]]の前哨戦として行われた、1991年[[IAAFワールドカップ]]競歩男子50km([[サンノゼ (カリフォルニア州)|サンノゼ]])では終盤[[メキシコ]]の[[カルロス・メルセナリオ]]を振り切りトップでゴールに向かっていたが、ゴール手前3mのところで失格となった(実際には残り400mで失格の宣告を受けたが、納得のいかないペルロフはそれを振り切ってゴールまで向かったが主任審判員から体当たりをされて止められた)。
* [[1991年世界陸上選手権]]での肩組みゴールイン後、テレビインタビューでポタショフ、ペルロフともに肩を組んだことについて「'''お互い友達同士なのになぜ1位、2位を争う必要があるんだ?'''」と語った。その後、2人は授与されたメダルを2つに切って分けあっている。なお、ペルロフは[[1985年]]の[[ユニバーシアード]]神戸大会男子20km競歩でも、同じソ連のモストビクと肩を組んでゴールしてやはり2位と判定された。
* [[1989年]]にマークした男子50km競歩の世界記録は11年間破られなかった。その間、[[1990年]]に男子20km競歩でも世界記録をマークし、世界の競歩史上ただ一人の2種目同時世界記録保持者となった(1989年には男子30km競歩でも世界最高記録をマークしている)
 
==主な実績==
46行目:
|-
|1985
|[[IAAFワールドカップ競歩]]
|[[マン島]]([[イギリス]])
|50km競歩
60行目:
|-
|1989
|[[IAAFワールドカップ競歩]]
|ロスピタレット([[スペイン]])
|50km競歩