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===発生と流行===
模刻を開したのは[[唐]]代後期のことであり、[[五代十国]]の文化王朝として知られる[[南唐]]であり、これによってこの手法を用いて『[[集帖#昇元帖|昇元帖]]』や『[[集帖#澄清堂帖|澄清堂帖]]』という[[帖]]を作ったと言われている。この手法が次代の[[北宋]]にも受け継がれ、広く行われるようになった。
 
北宋代は書作よりも昔の書の研究や蒐集・鑑定が広く行われ、書に対して学問的アプローチの行われた時代であった。朝廷でも皇帝の[[趙匡胤|太祖]]や[[太宗 (宋)|太宗]]自らが書の研究や蒐集を愛好し、[[淳化]]3年([[992年]])には翰林侍書の[[中国の書家一覧#王著|王著]]に命じて、[[王羲之]]を中心とする古今の書蹟を集めた書蹟集『[[淳化閣帖]]』全10巻を編纂させた。この際に用いられたのが、模刻の手法だったのである。