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[[日本書紀]]には[[斉明天皇]]5年3月に[[阿倍比羅夫]]が胆振[金且](いぶりさえ)の蝦夷(えみし)を饗応したとあり、後に[[新井白石]]は胆振[金且]は勇払郡域(ユウフツ場所)に当たるとの説を唱えている。
 
[[江戸時代]]の勇払郡域は[[蝦夷地|東蝦夷地]]に属し、[[松前藩]]によってユウフツ[[場所]]が開かれ苫小牧には[[北前船]]が寄航することもあった。[[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]、国防のため[[寛政]]11年勇払郡域は[[天領]]とされたが、[[文政]]4年には一旦松前藩領に復した。また、[[恵比須神社]]前身蛭子神社は[[嘉永]]3年よりも前の創建である。[[安政]]2年勇払郡域は再び天領となり[[仙台藩]]が警固をおこなった。[[1869年]][[8月15日]]に勇払郡が置かれる。[[北海道 (令制)|北海道]][[胆振国]]に含まれた。
 
[[1882年]][[2月8日]]、[[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]にともない[[札幌県]]の所管となる。[[1897年]]に支庁制が導入されると室蘭支庁([[1922年]]より胆振支庁)の管轄になったが、[[1906年]]に占冠村が上川支庁に移管された。[[1948年]]には[[苫小牧市]]が市制施行のため勇払郡から離れた。