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'''クィントゥス・ファビウス・ピクトル'''
[[共和政ローマ]]の元老院議員として[[紀元前225年]]の[[ガリア人]]との戦いや[[カルタゴ]]との[[第二次ポエニ戦争]]を指導した。[[カンナエの戦い]]でのローマの大敗の
ピクトルはローマ最初の歴史家とされるが、著述は[[ラテン語]]ではなく[[ギリシア語]]で行っている。その著作は引用などで断片が伝わるが、大半は散逸してしまっている。ピクトルの著作は[[ラティウム]]への[[アイネイアス]]の到着から自身の経験した第二次ポエニ戦争までを扱ったとされ、執筆年代は第二次ポエニ戦争後とされているが、戦争中に書かれたとの主張もある。
著作の内容については、閥族主義的で有力家系の視点からローマの歴史を述べたといわれる。また第二次ポエニ戦争について、自身の属したファビウス氏族の[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス]]の賞賛や擁護を重く見る研究者もいる。[[ポリュビオス]]に従えばピクトルは、第二次ポエニ戦争についてその責任を[[ハミルカル・バルカ]]、[[ハンニバル]]らバルカ家に帰している。
その著作はポリュビオスのほか、[[ティトゥス・リウィウス]]や[[ハリカルナッソスのディオニュシオス]]などが典拠と使用している。また[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]の時代までに[[ラテン語]]に翻訳されていた。
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[[Category:共和政ローマの人物]]
[[Category:ファビウス氏族|ひくとる くいんとうす]]
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