「イオアニス・メタクサス」の版間の差分
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メタクサスは労働者の賃金を上げ、労働条件を改善することで社会不安を解消しようとした。また農村部においては農民の借金のモラトリアムを行った。これらの政策は効果をあげることができず国民は次第に左翼側に傾斜したが、独裁政権に対する行動には出られないでいた。
一方外交においてギリシャはジレンマに陥っていた。メタクサスは
戦いの最中、メタクサスは1941年の1月29日咽頭癌の症状が悪化し、[[アテネ]]で死亡。中央銀行総裁だったアレクサンドロス・コリジスが跡を継いだが、ギリシアに進撃したナチス・ドイツ軍を前に4月21日に自決。4月29日にアテネが占領され、国王と政府は海外に亡命した。
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