「畠山高政」の版間の差分

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'''畠山 高政'''(はたけやま たかまさ)は、[[室町時代]]の[[紀伊]]・[[河内国|河内]]の[[武将]]。[[守護大名]][[戦国大名]][[本姓]]は[[源氏]]。[[家系]]は[[清和源氏]]の一家系 [[河内源氏]]の棟梁 [[鎮守府将軍]][[源義家]]の子 [[源義国|義国]]を祖とする[[足利氏]]の支流 [[畠山氏]]。畠山氏は[[室町幕府]][[三管領]]の[[家柄]]で高政はその[[嫡流]] 畠山尾州家の当主。
 
== 生涯 ==
大永7年(1527年)、畠山政国の嫡男として生まれる。
将軍[[足利義澄]](当時は義高)より諱を賜高政と名乗る。紀伊および河内の守護に任命される。
 
[[天文 (日本)|天文]]15年([[1546年]])に[[三好政長]]と[[摂津国|摂津]]の[[舎利寺の戦い]]で、父の援助を受けて勝利した。しかし天文17年([[1548年]])、[[三好長慶]]の反撃を受けて敗れ、長慶と講和を結ばざるを得なくなった。天文19年([[1550年]])に父の死で[[家督]]を継ぐ。