「ヒロ・ヤマガタ」の版間の差分

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*[[1990年]]、[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]がテキストを書いた英語版画集「YAMAGATA」が出版。「アメリカ移民200周年」、ベルリンの「フリーダム・キャンペーン」公式作品を制作。同年、[[メキシコシティ国立美術館]]で個展開催。
*[[1991年]]、「[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]新大陸発見500年記念」、[[世界陸上]]の公式作品を制作。同年、ニューヨーク映画記録保管所への経済支援を開始。同年、エイズ・チャリティー活動の一環として[[エリザベス・テイラー]]と共に来日。
*[[1992年]]、[[バルセロナオリンピック|バルセロナ・オリンピック]]の公式作品を制作。同年、米国[[ウォルト・ディズニー]]アートクラシックインクと契約。同年、[[鹿苑寺|金閣寺]]をモチーフに、[[京都]]「遷都1200年祭」の公式作品を制作。同年、障害を持つ人々の芸術活動の振興を行う国際組織「ベリー・スペシャル・アーツ」に600万ドルを寄付。
*[[1993年]]、ジーン・ケネディ・スミスと共に「ベリー・スペシャル・アーツ」のインターナショナル・アート・フェステバル(ブリュッセル)に参加。同年、ジャック・ニクラスと共同でゴルフシ新シリーズの制作を発表。同年、エイズ・チャリティー・イベントのため来日。
*[[1994年]]、[[アレン・ギンズバーグ]]らと[[ビート・ジェネレーション]]に関する[[ドキュメンタリー映画]]制作の企画を開始。同年、美しい自然のイメージを[[メルセデス・ベンツ]]のヴィンテージ・カーに描き出し「アースリーパラダイス」として[[ロサンゼルス市立美術館]]で発表。なお、「アースリーパラダイス」は美術評論家サム・ハンターによる命名である。また、同展のために[[アレン・ギンズバーグ]]が『ヒロ・ヤマガタの聖霊 20世紀の自動車』と題する文章を寄稿(「アースリーパラダイス」の制作風景の模様を、映画監督[[ジョナス・メカス]]公式HPで見ることが出来る)。同年、「ヒロ・ヤマガタ全版画集」が出版。
*[[1995年]]、米国オリンピック委員会の依頼で[[アトランタオリンピック|アトランタ・オリンピック]]全種目の作品を制作。同年「アースリーパラダイス」展を[[箱根]]、[[ベニスヴェネツィア]]([[アレン・ギンズバーグ]]との合同展)、[[モンテカルロ]]、[[モンテカティーニ]]、[[トリノ]]にて開催。
*[[1996年]]、「アースリーパラダイス」展を[[シカゴ]]で開催。同年、[[カール16世グスタフ]] スウェーデン国王に招かれ「アースリーパラダイス」展をストックホルムで開催。
*[[1997年]]、「アースリーパラダイス」展をカッセル([[デニス・ホッパー]]との合同展)、ウィーンにて開催。同年、「エタニティー・オア・ファット」展をロサンゼルスのフレッド・ホフマン・ファイン・アート・ギャラリー、シカゴART1997で開催。[[バクテリア]]や[[カビ]]が増殖する過程を[[顕微鏡カメラ]]で3月撮影。ミクロの世界で描き出される色鮮やかな自然の営みを巨大パネルにした作品。また、大気中に拡散するガスの動きも同様に巨大な写真作品として展示された。同年、[[レーザー光線]]を用いた[[インスタレーション]]展[http://www.hiroyamagata.com/exhibition/ele/ 「エレメントA」]をフレッド・ホフマン・ファイン・アート・ギャラリーで開催。同年、[[アカデミー賞]]授賞式にて「アースリーパラダイス」のイメージとレーザー[[インスタレーション]]のコラボレーションを発表。同年、[[ホワイトハウス]]からの依頼で、アメリカ合衆国憲法制定200周年記念の作品「ウィ・ザ・ピープル」を制作。同作品のシルクスクリーンは記念の豪華装丁本に納められ、全世界のアメリカ合衆国大使館に配布された。
*[[1998年]]、「アースリーパラダイス」展を[[ローマ]]で開催。同年、[[レーザー]][[インスタレーション]][http://www.hiroyamagata.com/exhibition/lar/ 「スカルプター・オブ・ライト」]展をLAファーストストリート橋にて開催。同年、自身が影響を受けた[[老子]]をテーマにしたNHKの番組取材で中国を初めて訪れ作品を描く。同年、日本の心をテーマにした「日本のエッセンス」の制作を開始。同年、作画を担当した80円切手「おもちゃのチャチャチャ」が[[郵政省]]より発行。
*[[1999年]]、「アメリカン・リップス」展をニューヨークのマルボロギャラリーで開催。同年、[[ビート・ジェネレーション]]に関する映画『ザ・ソース』(邦題『[[ビートニク]]』)のプロデュースが完成、ニューヨークとロサンゼルスの美術館で公開。同映画製作中の97年、[[アレン・ギンズバーグ]]と[[ウィリアム・S・バロウズ]]が次々に他界(映画監督ジョナス・メカスが撮影したギンズバーグのお通夜の映像に、ヒロ・ヤマガタの姿も見ることができる)したため、一時期完成が危ぶまれた。映画は彼らの生前のインタビューも含めたビートに関する様々なドキュメンタリー映像資料と、[[ジョン・タトゥーロ]](ギンズバーグ役)、[[デニス・ホッパー]](バロウズ役)、[[ジョニー・デップ]]([[ジャック・ケルアック]]役)らによる再現ドラマシーンとで構成されている。チャック・ワークマン監督の起用はヤマガタ自身のラブコールで実現したもの。同年、レーザーインスタレーション「ローマイヤーライツ」をローマイヤー彫刻美術館([[ミズーリ州]][[セントルイス]])にて開催。同年、米国[[ホワイトハウス]]設立200周年記念の公式作品を制作。同年、テレビ朝日の番組取材で[[チベット]](ピヤトンガ遺跡)を初めて訪れる。同年、「悠久のシルクロード」シリーズを制作開始。同年、[[東儀秀樹]]が音楽を担当したPlayStation用ソフト「YAMAGATA Digital Museum」が発売。
*[[2000年]]、[[シンシナティ現代美術センター]]で開催されたレーザーインスタレーショングループ展「アクティブ・ライフ」(オハイオ)に参加。 同年、レーザーインスタレーション「太陽系インスタレーション プロジェクト1」をヤマガタスタジオ([[マリブ]])で開催。同年、グラミー財団より[[グラミー賞]]2000年公式アーティストに任命される。
*[[2001年]]、レーザーインスタレーション[http://www.hiroyamagata.com/exhibition/ngc/title.html 「NGC6093」]をニューヨークのエースギャラリーで開催。(映画監督ジョナス・メカスが撮影した「NGC6093」でのヒロ・ヤマガタインタビュー映像を、ジョナス・メカス公式HPで見ることが出来る。)レーザーインスタレーション[http://www.hiroyamagata.com/exhibition/photon/title.html 「フォトン999」]を[[フランク・ゲーリー]]がデザインした[[グッゲンハイム美術館ビルバオ]](スペイン)そのものをキャンバスにして開催。
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*ヤマガタの作品の中に'''「[[猫と泥棒]]」'''という画がある。ヤマガタの個展に足を運んだ一人の青年が、この「猫と泥棒」に魅せられ、ヤマガタに「この絵を売ってください!!」と懇願したと言う。ヤマガタは青年の熱意に特別なものを感じ取り、青年に「猫と泥棒」を売ることにした。序で、青年は「実は今度、紅茶専門の喫茶店を開くのですが、この絵のタイトルをそのまま店名にしても良いですか?」とダメでもともとのつもりで頼んだところ「良いよ。」と、思いのほかあっさりと了承を得た。青年はその後、[[横浜]]・[[伊勢佐木町]]に紅茶専門喫茶「猫と泥棒」を開き、僅か数年間の営業ではあったが、横浜でも極めて著名な店に成長させた。青年は、とある理由からその店を閉じることとなった後もその絵だけは大事に手元に残し、再び「猫と泥棒」の店名で日本茶専門の喫茶店を開く為に今も頑張っているという。
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== 外部リンク ==
* [http://www.hiroyamagata.com/ ヒロ・ヤマガタ 公式HP]